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いつか役に立つことがあるかもしれません。

挫折し続ける初心者のための最後のジャズ入門

挫折し続ける初心者のための最後のジャズ入門
  刺激的なタイトルだ。私もジャズのCDは何枚か持っているけど、特に愛聴しているわけでもなくて、何かいまひとつのめり込めない悶々としたものを抱えている人間なので、まさに「挫折し続ける初心者」だと思う。
  この本は、そういう初心者の痛いところをぐさっと突き、しかも一見かなり大上段に構えた高飛車な語り口なので、短気な方は「ふざけるなっっ!」とすぐに投げ出してしまうかもしれない。しかし、そういう攻撃を右に左にかわしつつ読み進んでいると、かなり深いことをさらっと言っている箇所にいくつか出会う。

何度も繰り返し聴くことによってなにかを発見していく行為、それが「音楽を聴く」ということだろう。あるいは、その繰り返す過程そのものが「音楽を聴く」ということにほかならない。

  確かに、私には無人島に持っていくならこれとこれ、と言えるような愛聴盤がいくつかあるが、それらはいずれも何百回も聴いており、しかもまだまだ味わい尽くせないくらい深みを持ったアルバムたちだ。

にもかかわらず「音楽を聴く」ということは、すなわち大量のCDを集めること、あるいは1枚でも多くのCDを聴くことであるかのように短絡的に考えられているふしがある。(中略)繰り返し聴かなければなにも発見することができない。それこそが“音楽”というものがもっている神秘であり、その神秘を解く鍵をひとつひとつ発見していく行為、その過程こそが「音楽を聴く」ということなのだと思う。したがって過剰なCDの購入は、そうした喜びを自ら放棄するも同然であり、やがて聴かなくなることは目にみえている。

  慧眼と言うべきだろう。私のCDラックにも、何かにせき立てられるように購入して、ほとんど聴いていないアルバムがそれこそ大量にある。恥ずかしい。
  著者の中山康樹氏はマイルス・デイビスと親交のあった方のようなので、おすすめアルバムも「マイルス・デイビス 知的音楽生活へのパスポート」などと、その持ち上げ方が尋常ではない。が、こちらは初心者なので、素直におすすめに従ってマイルス・デイビスイン・ア・サイレント・ウェイ』とビル・エヴァンスの『ホワッツ・ニュー』を購入。
  さて、挫折記録更新はここでストップするだろうか。