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手塚治虫 原画の秘密

手塚治虫 原画の秘密
  フランク・ステラという美術作家がいる。ストライプを基調としたミニマル・アートで有名な人で、私が学生の頃、とても人気のある作家だった。後年は作風ががらっと変わるが、若い頃は端正な抽象絵画ばかり発表していた。

  ある日、友人の一人がステラの回顧展だか何かの企画展だかを見に行ってきて、私にこう言った。
  「ステラのキャンバスって、裏側はすっごくラフなんだぜ」
  作品の表はシンプルの極致といってもいいほどスマートでクールなのだが、裏はなにやら文字の書き込みがあったり、クラフトテープの切れ端がくっついていたり、絵の具がこぼれていたり、とにかく意外なほど「雑」だった、というのだ。作家の舞台裏をのぞき見したようで、実際に見ていない自分もなぜかわくわくしたことを覚えている。
  そんな作家の舞台裏、しかもあの手塚治虫の舞台裏を存分にのぞかせてくれるのがこの本だ。原画を描く前のラフスケッチやネーム、ペン入れ途中でボツになった原稿や、単行本収録時に描き直された原稿。ホワイトで消し、キャラクターを切り貼りし、ときにはコマを大胆に並べ替えたりして、いろいろと苦心を重ねている。
  雑誌連載時には毎回冒頭にあらすじ紹介があるため、単行本収録時にはかなりの修正を編集者から要求されていたそうだ。天下の手塚治虫にそんな要求を出せる編集者というのもすごいが、手塚氏本人も実に根気よく手を入れている。アシスタントたちの苦労も並大抵ではなかっただろうなあ。
  そうだ、そのむかし吉田戦車の原画展に行ったことがある。その画風に似合わず(?)、コマ割りの線がとてもきれいにきっちりと引かれ、細かいホワイトの修正がたくさん入っているのにびっくりした。優雅に見える水鳥も水面下では必死に……とかなんとか、そんな話を思い出したのだった。