インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

春樹をめぐる冒険・二日目

  二日目のワークショップは「翻訳論――翻訳の現場から見る村上ワールドの魅力」。村上春樹の作品から『スパナ』と『夜のくもざる』の一節をあらかじめ各国の翻訳者に訳しておいてもらい、パワーポイントで投影しながらそれぞれの翻訳者がコメントしていくというスタイルだった。

  中国語では褚明珠氏と葉螵氏が二作品とも訳されていて、お互いの翻訳の比較や、他の言語との問題認識の違いなどいろいろ興味深いテーマで司会者がつっこむのだが、ううむ、なかなか議論が盛り上がらない。
  理由のひとつは、例によって時間が押せ押せになるからだ。このワークショップだけでも十近い言語の翻訳者が登壇しているから、それぞれの発言時間はどうしても限られてしまう。まあ仕方がないと思う。
  もうひとつは、これはかなり失礼な言い方で申し訳ないのだが、お二人、特に褚明珠氏は日本語の「聴く」「話す」があまり得意ではないようで、例えば時制の扱いについて議論になった時に発言を求められたのに、いきなり別のテーマを話し始めたりして、質問の意味をあまり理解されていないように見受けられた。翻訳者がすべて十全なコミュニケーション能力を備えているべしとは思わないが(そんなこと言われたら私も廃業だ)、こういった場合にはスピーディな逐次通訳でサポートしたほうが話し手・聞き手双方にとってストレスが少ないのではないかと思った。もちろん予算の都合もあるとは思うけれど。
  いろいろ興味深いテーマはあった。例えばオノマトペの問題。
  『スパナ』には、スパナで鎖骨を折られた時の音「グシャッ」が出てくるのだが、褚明珠氏と葉螵氏のお二人はここをそれぞれ“喀吱”“咯[ロ勒]*1”と訳されている。「パキッ」という乾いた鋭角的なイメージの音ではないかと思う。お二人とも中国語では「グシャッ」にあたる音がないからとおっしゃっていて、確かに単に骨が折れる音と考えれば順当なのかもしれないが、なんとなく引っかかっていた。
  そうしたらJay Rubin氏が自分の翻訳に対するコメントで「この『グシャッ』は肉に包まれた骨が折れる、くぐもった、フィジカルな音。で、翻訳にもそれを活かした」といったようなことを述べたので、おお〜っと前に身を乗り出す。じゃあ中国語で「グシャッ」はどうすればいいだろう。
  Jay Rubin氏はこのほかにも、文章の途中で時制ががらっと変わる文体の特徴を出すために、時制の変わり目で原文にはない「一行空き」を入れたとか、原文にある「バックミラーに向かって口紅をなおしながら答えた」という部分は、明らかにその直前のセクシャルな行為(キスをしたとか)を連想させるので、訳す上で非常に重要とか、鋭い指摘をいくつもされていて凄みを感じた。
  もうひとつ、日本人ならほとんどがすぐに「ああ」と分かるような文化的背景の問題。
  『スパナ』には「江ノ島の近く」で「スポイラーのついた白いニッサン・スカイライン」に乗って女の子をナンパして「モーテル」に連れ込む男とか、他にも車種で「フェアレディー」や「シルビア」が出てくる。こうしたアイテムが醸し出すある種の軽薄さというかスノッブな感じ、湘南でのそういう行為という「いかにも」な雰囲気、こういうのをどうくみ取り翻訳に活かすのか、あるいは外国の読者には伝達不可能として切り捨てるのか。これも非常に興味をそそられるテーマだったのだが、やはり時間が足りずにそれほど議論は深まらなかった。これも仕方がない。本当に議論しようとしたら何日もかかるだろうし、そもそもこうした公開ワークショップでそこまでやるのは難しいと思う。
  『夜のくもざる』については、これは言葉遊びをどう訳すかというテーマ。
  「真似をするんじゃない」「マネヲスルンジャナイ」と、漢字とカタカナが併記された部分を、ある人はイタリックを使ってみたり、ある人は大文字ばかりで書いてみたり*2と工夫されている。褚明珠氏はイタリックにしたり、最後に“啊”をつけてニュアンスを変えてみたりという試みをされていた。私は何の気なしに、カタカナの部分を注音字母にするというのも台湾ではありかなと思ったが、この文章は直後に「平かな」「比良かな」「字が違ってる」「時が違ってる」といった対比もあり、下手に工夫しすぎるとどんどん翻案に近くなってしまうからだめかな。
  この『夜のくもざる』では、ロシア語で綴りは全く同じ文章なのに、単語の切り方を変えるだけで全く別の文章になってしまうというテクニックで言葉遊びを再現したというのがおもしろかった。それとハンガリーのErdős György氏が述べた「『いただきます(天の恵みに感謝します)』を“Good appetite(食欲がわきますように)”と訳す翻訳者はある意味犯罪者かも知れない。でもここで意味を直訳しても始まらない。自らの言語に従って言葉を自分勝手に選ばなければならない」というのは、ユーモアたっぷりなこの方のキャラクターに笑ってうっかり聞き逃しそうなところだけど、とても深いテーマだと思った。
  最後に蛇足だけれど、私は根が意地悪だから書いちゃう。質疑応答になると、どの会場にも必ずオタク的に話し始める人がいるなあ。今日は少なかったけれど、そりゃ質問じゃなくて意見表明ないしは知識のひけらかしでしょ、みたいな方が必ずいる。私は心の中で「引っ込め〜!」っていつも叫んでいる(^^;)。
  言うだけなら簡単だから申し訳ないけれど、できれば事前に質問を募って、質問者を厳選した上で討論に参加してもらったほうがいいんじゃないかと。でもそれだと当日の議論をふまえた質問などは出せないから活気に欠けるかな。なんかこう、自己顕示欲満々の方が多い会場って、疲れる〜〜*3

*1:チャイニーズライターに[ロ勒]が見つからないんだけど、なぜ? ちなみに葉螵氏は中文を当然香港の読者向けに広東語として翻訳しているそうで、朗読した時も広東語だった。

*2:英語などだと叫んでいるように読めてしまうという弊害もあるが。

*3:ブログ日記など書いている人間が言うセリフじゃないやね、どうも。