インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

翻訳研究としてのテレビゲーム

  翻訳研究者であるMinako O'Hagan氏の発表を聞きに、日本通訳学会・翻訳研究分科会へ(立教大学)。『ファイナル・ファンタジー』などのゲーム(エンタテインメント・ソフトウェア)を外国語版に移し替える際の課題や作業の実際等について紹介されていて、自分も現在ドラマの翻訳を進めている関係で、すごく興味をひかれる内容。以下、聞いた内容の受け売り。

  ゲームを他の言語に移し替える作業は、映画やビデオなどの映像翻訳とはかなり違う。もちろん画面に出てくる文字を翻訳したり、動画や挿入される映像の字幕や吹き替え原稿を作ったりというあたりまでは普通の翻訳作業に近い。けれどもRPG(ロール・プレイング・ゲーム)の映像などで、相手側の文化に合わせて、例えば正反対の意味を持つノンバーバル・コミュニケーションの映像を調整ないしは改変しなきゃならない*1とか、映像翻訳的な作業と並行してソフトウェア自身のローカライゼーションも進めなければならないなど、いや、これは想像するだけでもかなり大変で厖大な作業量だ。
  実際、某ゲームソフト会社は、最初に外国語へのローカライズを行った際には全て外注で済ませたらしい。単にウェブサイトを丸ごと外国語へ翻訳するくらいの仕事だとふんでいたわけだ。ところができばえは惨憺たるありさまで、ユーザーからかなり不評を買ったとか。それからゲームのローカライゼーションが単なるテキストの翻訳レベルですむ単純な話ではないと悟り、今ではインハウスの専門スタッフをかかえるようになっているという。
  それぞれのゲームには熱狂的なファンがいて、そうしたファンのある種カルト的な欲求をも満たす必要がある、という話もなるほどと思った。アイドルドラマの字幕でも、例えば日本のマンガが原作になっている台湾ドラマの逆輸入など、そういう部分はある。けれどゲームはそうした反応がネット上ですぐに返ってくるなど、独特のシビアさがあるようだ。
  また翻訳なりローカライズを担当する人が、クリアまでに何百時間もかかりかねないゲームをそこそこ熟知している必要があるというのは、これは映像翻訳とはかなり違う大変さではないか。ドラマならとにかく全部見てしまえばすむけれど、ゲーム、特にRPGなどは立体的・重層的だものねえ。深い世界観を持ったものも多いし、基本的に娯楽商品だからユーモアやエンタテインメント性も追求しなきゃならないし。Minako O'Hagan氏が「単なるテキスト翻訳ではなく、ゲーム体験の翻訳」とおっしゃっていたのが印象的だった。

*1:例えば「〜しないの?」と否定形で聞かれて「しない」と答える場合、日本版では首を縦に振るが、北米版は首を横に振るようにしなければならないなど。