インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

麥芽糖

  勝手に歌詞を解釈する「ジェイ祭り」は続く。
  これはまた『夜曲』とはうって変わり、明るくて楽しい曲。『麥芽糖』というタイトルがまずキュートだ。「サワディッカー」や「ポムラックン」などというタイ語が合いの手に入っていることからして、タイの農村風景なのかな。

這蜿蜒的微笑擁抱山丘 溪流跟風唱起歌
我像田園詩人般解讀眼前的生活
麥田彎腰低頭在垂釣溫柔這整座山谷都是風笛手
我在啞口聆聽傳說跟著童話故事走

  “蜿蜒”はうねうねと山並みが連なるさま。「うねうねと連なる微笑みが山々を抱き/渓流が風とともに歌い出す」とは何とメルヘンチックな冒頭かと思ったら、ちゃんと「田園詩人のように今の生活を読み解いてみる」と宣言している。
  “垂釣”は釣り糸をたれること。実が太って穂を垂れた麦畑が「温もりを釣り上げている」かのようだと。“風笛”はたぶんバグパイプ。この山や谷全体が“風笛”を奏でていると。タイの農村にバグパイプは完全な奇襲だが、いいのいいの、メルヘンだから。そういえばこの曲全体がどこかスコットランド民謡のような曲想だ。
  で、“啞口聆聽傳說”、黙って耳をすますのは伝説で、“跟著童話故事走”、僕は童話の物語と一緒に出かけるというのはあまりに詩的でよくわからんが、私は、村の古老あたりにこの土地の伝説を聞いているうち、それが胸躍るファンタジーとして目の前の田園風景に広がっていくような気がした……みたいな情景を想像した。

遠方的風車 遠距離訴說 那幸福在深秋 滿滿的被收割
老倉庫的角落 我們數著 一麻袋的愛跟快樂 初戀的顏色

  遠くに見える風車が何かを語りかけてくるようだ。幸せは深まる秋の中で穂をいっぱいに実らせて刈り取られたよ、と。刈り取られた麦は麻袋に詰められ、古い蔵に収められる。そのかたわらで「僕たち」は麻袋いっぱいの愛と喜びを“數著”「数えている」んだけど、まあここは大豊作を目の前にすごくハッピーな気分、とでも言いたいんだろう。ここの“一”は「いっぱい・全体」を表す。最後に“初戀的顏色”とあるから、今年も豊作だねと顔を見交わす相手が彼女なのかもしれない。
  私事だが若い頃農業のまねごとをしていた時期があって、そのとき麦も作っていた。収穫の時期というのはみんな何ともいえない高揚感に包まれていて、本当に心豊かな気分になれるものだ。だからこの辺の字面は、すとんと胸に落ちる。

我牽著妳的手經過 種麥芽糖的山坡
香濃的誘惑 妳臉頰微熱 吐氣在我的耳朵
摘下麥芽糖熟透 我醒來還笑著
開心的 被黏手 我滿嘴 都是糖果

  “種麥芽糖的山坡”、麦じゃなくて麦芽糖を植えた山肌というのも変だが、そこもまあメルヘンだから。まだ刈り取っていない麦畑を、彼女の手を引いて駆け回っているんだろう。
  そういうシチュエーションになれば当然、“香濃的誘惑 妳臉頰微熱 吐氣在我的耳朵”、「香り高い誘惑/熱を帯びる君の頬/僕の耳元に吐息」という展開に。大変に古くて申し訳ないが「♪誰かさんと誰かさんが麦畑〜」という歌を思い出してしまった。それにしても方文山、『七里香』でも出てきたが「耳に吐息をフッ」が好きだねえ。そこを攻められると弱いの、ってやつだな(笑)。
  “摘下麥芽糖熟透”、刈り取った麦はまるまると熟していて……当たり前だ。“我醒來還笑著”気がついたらまだ笑っていた……よくわからん。まあ妄想をたくましくするに、麦畑の中で彼女に膝枕かなんかしてもらってて、麦の穂を見上げていたんだな。で、うとうとして目覚めたら彼女が笑っていたんで僕も笑っちゃった、とか。できすぎですか。
  “開心的 被黏手”、ここはなんだろう。“黏手”は「手をつける」ということだが「干渉する」というニュアンスもあるし、“被”で受け身になっているしなあ。そのあとは「口いっぱいに頬張っているのは“糖果”」。“糖果”はキャンディとかジェリービーンとかグミとか、まあそんなの。“黏手”は「手に粘りつく」という意味にも取れるから、子供が手をべたべたにしながら“糖果”を頬張ってじゃれ合っている光景かもしれない。もとより「口いっぱいに頬張る」というのが甘い幸せを象徴しているしね。

牽著妳的手經過 種麥芽糖的山坡
甜蜜的四周 我低頭害羞 我們愉快的夢遊
我在草地上喝著 麥芽糖釀的酒
鮮嫩的 小時候 我好想 再咬一口

  一行目は前段と同じ。二行目はこれもまたよくわからんが、周囲があまりに甘い幸せにあふれているものだから、思わず麦畑の中に頭を伏せてしまったとかなんとか。“夢遊”は文字通り夢の中で旅をすることだが、やはり子供の頃の思い出を反芻しているのか。“我在草地上喝著 麥芽糖釀的酒”、「草の上で麦芽糖のお酒を飲む」。麦芽飲料といえば台湾や香港なら阿華田(Ovaltine)とか好立克(Horlick)とか、日本でなら「ミロ」だが、これは酒だから、ほらあれだ、“Malternative”などと言われるモルト飲料の一種じゃないか。手作りビールみたいな味の。
  “鮮嫩的”、フレッシュでやさしい風味……って、子供がモルト飲料飲んでていいのかと思うが、次に“小時候 我好想 再咬一口”「子供の頃を/ぜひもう一度かみしめてみたい」とあるから、ああなるほど、大人になった僕が追憶にふけっているのかもしれん。最後に……

我滿嘴 都是糖果 我好想 再咬一口

  「口いっぱいに頬張った“糖果”/ぜひもう一度かみしめてみたい」。全体にほのぼのメルヘンの世界だと思ったが、最後にほんの少し切ない感じも漂う。子供の頃過ごした農村へ久しぶりにもどった「僕」が初恋の思い出をかみしめているのかもしれない。
  クールで“屌!”な今回のアルバムの中では異色の一曲だが、私は周杰倫のこういう曲が好き。初期の『星晴』とかね。