インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

英語を学べばバカになる

英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想 (光文社新書)

英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想 (光文社新書)


  以前からホテルに泊まるたびに奇妙に思っていたのだが、部屋に備え付けのテーブルだかキャビネットだかの引き出しを開けると、申し合わせたように聖書が入っているの、あれはどうしてなんだろう。地方都市の小さなビジネスホテルなどで、外国人の宿泊客は極めて少ないだろうなあと思えるようなところでも、日本語と英語が対訳になった聖書があったりする。日本人の宿泊客におけるクリスチャンの割合は聖書を何が何でも常備しなきゃならないほど多くはないだろうし、そもそも外国人=クリスチャンというのもかなり乱暴な決めつけかたじゃないか。
  ……などということを思いだしたのはこの本を読んだからだ。何だかミもフタもない題名で、中身を正確に表してもいないけれど、この本自体はとてもおもしろかった。
  英語が本当に世界のグローバル・スタンダードなのか、という趣旨の本はこれまでにもたくさんあったが、この本はひと味違う。語学的なアプローチもあるにはあるが、それよりも紙面の大半を「アメリカ型グローバル・スタンダード」の分析と批判にさいているのだ。
  それも「英語帝国主義」などといったキャッチフレーズに寄りかかった批判ではなく、アメリカ流の「政治的正しさ」にはじまって、NPOやら政教分離やら進化論裁判やら陪審員制度やら「大きな政府・小さな政府」やら異様に神がかっているアメリカ国家の成り立ちやら……とさまざな角度からアメリカとアメリカ的なものを検証していく。そのどれもがこれまた異様なほどアメリカ追随を続けているわが日本のいまとこれからを考えるヒントになるものばかりだ。ヨーロッパとアメリカの民主主義の違いを、レストラン案内書の『ミシュラン』と『ザガット・サーヴェイ』に例えて比較するくだりもおもしろい。
  ちょっと筆がすべって「いいすぎ」になっているところもあるけれど、「幼児から英語教育を」などといまだにのたまう人が後を絶たないこの国だもの、子供に「おしっこ」やら「うぇっ」やらの「ネイティブっぽい語彙」を言わせるのが「生きた英語が身につく」ことだと言わんばかりのCMが流れる国だもの、だいじょうぶだいじょうぶ。