インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

充電式電池は長く使っていると充電も放電もできなくなるそうだが。

通訳者のMarikoさんの『Perro Verde −緑の犬−』にとても共感できる一文があった。

社内通訳をしていると、業界知識をつんだり、量を多くこなせるというメリットはありますが、「文脈に頼って」訳をするようになってしまいます。純粋に英語として理解できたというより、背景事情がわかっているから訳せる。または、発言者の意図がわかっているから訳せる、ということになってしまいます。

――「追手がくる!?」より

今の私がまさしくそうだなあ。このプロジェクトに派遣されてすでに二年有余、日々の会議や打ち合わせでの通訳は、背景事情から発言者の意図まで十分すぎるほど熟知しているので、正直、訳出にそれほどのストレスを感じない。いっぽうで通訳者は私ひとりだけなので、互いに訳出をチェックしあうということもない。
技術会議の際は多少緊張するが、多かれ少なかれこれまでの延長線上にある。仮に予習を全くしないで望んだとしても(いや、ま、一応はするけど)、何を言っているのか全くわからないということはまずない。
先輩諸氏は「それがインハウス通訳者のメリットだし、フリーランスで全く違う分野の通訳業務を立て続けに受けるのは大変なんだよ」とおっしゃる。それはその通りなのだが、このところとみに自分が文脈に頼って通訳をしている部分があまりにも大きいと感じている。
できるだけ忠実な訳出を心がけてはいるが、文脈や意図がよくわかるだけに通訳者という立場を越え、より主体的な・意訳的な・コーディネーター的な訳出になっていく。もちろん私を雇用している日本企業はそういう役割を期待しているのではあるが。
Marikoさんはこうも言われている。

一定期間以上いると「これ以上いても通訳として得られるところはあまりないか、むしろマイナス」という状態になるので、そのときは次に行くことを考えないといけないんですが。

うーむ、たしかに今の企業がこの先何十年も雇用し続けてくれるなら、もしくはこの業界の仕事が今後もコンスタントに入ってくるなら、今の状態を続けるのも意味のあることかもしれない。だが私は「臨時雇い」なのだ。「次に行くことを考え」て、きちんと食べていける実力をつけていかなければならない。
実はこの三月が派遣の契約期限で、クライアントからは更新を打診されている。報酬はよいので蓄えもない私は迷ってしまうのだが、やはり辞退することにした。春になったら日本に戻って次の仕事を探そう。あ、その前にもう一度学校に通い直して、身体に染みついた「なんちゃって通訳」の傾向を少しでもたたき直したい。