インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

真夜中の太陽

真夜中の太陽米原万里/中公文庫/ISBN:4122044073)を読む。二十世紀末の数年間に、雑誌などに掲載されたエッセイを集めたもの。社会時評が中心で、かなり辛口の内容だ。辛口とは言ってもそこはそれ、米原氏一流のユーモアや皮肉がたっぷりと効いている。
いろいろと興味深い話題が盛り込まれているのだが、例えば「オートマチズム」という項には、サッカー日本代表ジーコ監督のこんな話が紹介されている。

日本人選手には、攻撃のアイディアがないと言われているが、それは違う。彼らに不足しているのは、オートマチズムだ。ブラジルでも、その他どこのサッカー先進国でも選手たちは攻撃のいくつもの基本的な型を徹底的に叩き込まれていくんだ。それが時と場合に応じて無意識に自動的に演じられるほどに自分の習性=第二の本能にしていく。天才的閃きもアイディアも実はその中から生まれる。

これを読んで、言語の習得も全く同じではないかと思った。あまり非科学的なことは言いたくないが、通訳をしているときにとっさに適切な訳語が閃くというのも、同じような背景があるかもしれない。ジーコ氏はこうも言っている。

叩き込むのは、非の打ち所のない正しい型でなくてはいけない。間違った型を習得すると修正するのに、身につけたときの十倍のエネルギーを労するからね。

これは発音や文型の習得にもそのまま通じる。