インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

北京語を生業としている者のはしくれとして、やはりこの言葉を使う人々にはそれなりの思い入れがある。それは興味であったり、尊敬であったり、「是々非々」を前提にしながらも抱く一種の愛情のようなものであったりする。ところが、ときにそういう思いが立ち消えそうになることがある。
今日は台湾のある政府機関から施設の検査に関連してお役人が七名ほど来所。この施設のプロジェクトはすでに最終段階を迎えている。この政府機関がOKを出しさえすれば事実上商業運転に入ることができ、台湾経済に多大な恩恵をもたらす施設となる。
だが、台湾にほとんど先例のない施設のため、もとより専門知識を持ち合わせていないこの政府機関は、自らOKと言いたくない。何か事故でも起こればゴーサインを出した自分たちの責任になるからだ。そこで「この書類が足りない、その説明が足りない、あの専門家に見てもらえ」とあることないこと難癖をつけては決定を先送りにするサボタージュをくり返している。驚くことにこれがもう数年も続いているのだ。
ホント、この国のお役人の態度を見ていると、「責任を取るなら死んだ方がマシ」という原則で貫かれているのがよくわかる。日本のお役人もいろいろ見てきたが、いくらなんでもここまで来れば諦めてしぶしぶ決定を下す。そういうサボタージュが国の利益をも損なうことくらいはわきまえているのだろう*1
だがこの国はどうも違うようだ。国の利益などどうでもいいから*2、とにかく自分が責任を取りたくない。責任を取らずに済ませるためには、なりふりかまわずサボタージュして問題を先送りする。本当にふがいないったらありゃしない。台湾のみなさん、こんな役人を税金で飼っていても国は発展しませんよ。
なんでこんな情けないお役人のために通訳をしているんだろう……こんなことを言っている私は、まだまだプロの通訳者にはほど遠いのだろうなあ。

*1:いや、わきまえていない輩もたくさんいるが……などと言ってちゃ話が進まないか。

*2:その歴史的経緯から、国というものにあまり信を置いていないのかもしれない。それは何となくわかる気もする。