インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「中国語」学習

のほほん日記」のぽちさんが「中国語」の学校を探してらっしゃるとか。できれば繁体字で、“國語”が学べればとのご希望だが、なかなか見つからないそうだ。確かに、現在日本にある「中国語」学校で教えられているのは、ほとんどが大陸の“普通話/北京話/漢語”で、簡体字を使っているだろうから、正統的(?)“國語”*1を、注音字母→繁体字というステップで学ぶという希望をかなえるのは難しいかもしれない。
私も最初、ローマ字ピンイン簡体字というステップで“普通話”を学んだ。「中国語」といえば漢字ばっかり、というイメージだったのに、最初に開いたテキストはアルファベットばっかりで、「えっ、これが『中国語』?」と驚いた記憶がある。学びはじめてほどなく「中国語」関連の職場に移ったので、それまで日本語をローマ字入力していた私にとって、ローマ字ピンインはパソコンでブラインドタッチ入力するのに何の抵抗もなくて助かった。簡体字も手書きするときは画数が大幅に省けて便利だし、物珍しさも手伝って一時期は日本語の文章を書くときにも使ったりした。
ただ、雑誌の「誌」もこころざしの「志」も、簡体字では同じ“志”になってしまうなど、これはいくらなんでもムリがある*2と思い、また職場で見かける中文の新聞や雑誌はほとんどが繁体字で、グローバルな華僑ネットワークでは繁体字が共通の文字なのだと知ってからは、意識的に繁体字も学ぶようになった。
現在は台湾にいることでもあるし、また漢字という文化本来の姿に敬意を表して(^^)、文章を書くときもネットで検索したりブラウズしたりするときも意識的に繁体字を使っている。とはいえもちろん簡体字で書かれた文章も読むし*3googleなど、繁体字で検索しても同じ字義の簡体字のページをもピックアップしてくれるので、全く不便を感じない。結局のところ、どちらも読めて書けた方がいいに決まっているわけだし。
現代革命京劇《杜鵑山》の主人公・党代表柯湘を演じる楊春霞。そういう意味では、日本の「中国語」教育はちょっと極端なほど大陸側に偏っていると思う。私は別に政治的なイデオロギーがどうこうということには全く興味はないし、貧乏サラリーマンだった私に無償の奨学金を出してくれた中華人民共和国国家教育委員会には足を向けて寝られないが、日本の「中国語」教材は、これまでずいぶんと“北京政府”寄りではなかったかと思う*4
最近はどうだか知らないが、私が学んだ頃(とはいえ十年も経っていない)は教科書に、“北方”独特の舌を巻く“r化音”が頻出していたし、“壓根儿(ya4genr1)”“玩藝儿(wan2yir4)”みたいなチャキチャキの“北方”風表現も教わったような気がする。
私は“京味”あふれる“北京土話”も好きだし、台湾の“國語”のようなどことなく舌足らずな発音も素敵だと思う。どうせ非ネイティブなんだから、少々つまみ食いしたっていいのではないか。もっともそのおかげで私は北京に行けば「おまえの発音は“南方人”だ」と言われ、台湾では「おまえのは“北京腔”だ、その巻き舌をやめろ〜!」と言われるしで、どないせぇっちゅ〜ねん、という羽目に陥っているが。
ただし、やはり最初は“普通話”から入った方が効率的だと思う。教材も豊富だし、それだけ教学が研究されているからだ。
ちなみに私が以前住んでいた杉並区高円寺南のアパート近くに、台湾系のキリスト教会があって、そこで確か“華語教室”をやっていた。こうした教室なら繁体字のテキストで教えているかもしれない。

*1:例えば英語の“and”にあたる“和(he2)”を“han4”と発音するような?

*2:この件で一度大陸から来られた先生と議論し、かなり険悪な雰囲気になって困ったことがある。

*3:いずれかしかないコンテンツのほうが多いから、当たり前と言えば当たり前。

*4:通訳学校では、繁体字簡体字の教材や資料が取り混ぜられており、両岸三地(大陸・香港・台湾)の様々な話題が登場して楽しかった。実践ではやはりこうなのだなあと思った。まあ私など、社会主義的なコンテンツ(?)にもオタク的興味があって、だから初学者の頃、教科書に“同志”とか“毛主席”とか“社会主義建設”などの文字が躍っていたのにワクワクしたし、文革期の“現代革命京劇”やバレエ、それ以前の古い映画などのVCDもあらかた買い集めた。“革命歌曲”だっていろいろ覚えてはカラオケで歌って、一部のネイティブからはやんやの喝采を浴び、一部のネイティブからは眉をひそめられたりした(若かったのだ。許して)。