インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

台湾で日本語を教えておられるid:tinuyamaさんが、「『キュー出し職人』にわたしはなりたい」と“備課*1”のくふうを紹介されている。私にもささやかながら講師の経験があるが、本当に実りのある授業をしようと思ったら、こんなふうに授業時間の何倍もの準備時間が必要なのだ。おつかれさまです。

経験の浅い(といふか、授業の準備をしない)教師の授業でときをり見かけるのだけれど、ある文型の意味を媒介語で説明した後、いきなり「では、この文型を使つて例文を作つてください。はい、陳さん、どうぞ」と学習者に丸なげしてしまふ人がゐる。自分が学習者の立場になつてみればわかると思ふが、これは相当ストレスがかかる。

初歩的な質問で恥ずかしいのだが、「媒介語」というのは、例えば台湾人にとっては台湾語、あるいは北京語のことかな?
timuyamaさんの文章を拝見して、私の恩師とも言っていいある北京語の先生(大陸のネイティブ)のことを思い出した。
この先生は常に教案を工夫されているとても熱心な方なのだが、日本語がうますぎるために「媒介語」がどうしても日本語になってしまう(特に初級クラスで)。
また会話練習などでは例えば「映画を見に行きたいと言ってください」「あまり行きたくないそぶりをみせてください」などと日本語で「キュー」を出される。ところが、初級クラスで日本語を使ってキューを出されると、生徒は「『映画』って北京語でどう言うんだっけ」「『あまり』ってどう言うんだっけ」と頭の中で必死に日本語→北京語の翻訳を始めるのだ*2
先生は「キュー」の言葉尻にとらわれることなく、そうした「意図」を自分の知っている言葉の範囲で言ってもらえばよい(したがってこう言わねばならないという「正解」はない)、それがコミュニケーション能力を育てる……ということを期待されている。だが実はこれ、ほとんど逐次通訳に近い作業になってしまっており、初級の学生にとっては負担が大きすぎる。
同じような原理でこの先生は独自の会話練習プリントも作っておられるのだが、これは印刷された日本語の「キュー」を読んで北京語でしゃべるという、初心者にいきなりサイトラをさせるような結果になる。私は、こうした通訳・翻訳の訓練は上級クラスで初めて導入されるべきものだと思う。

*1:授業の準備。

*2:私が初心者のころ、実際にこの先生に教わったのでよく覚えている。