インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

樁腳

選挙の際、候補者への票のとりまとめに奔走する地元の顔役的存在のことをいう。日本語で言うと「集票マシン」が近いかな。この言葉が載っていた今日の《聯合報》社説は、ひとりの男性の半生を取り上げた、かなり異色の内容だった。
男の名前は張榮財。十九年前、トラクターで呉淑珍という女性を轢き、半身不随にしてしまう。彼女は県知事選挙に出馬して落選した夫と一緒に支持者への挨拶回りをしている最中だった。夫は現在の台湾大統領*1陳水扁。当時この交通事故は「政治テロ」としてとらえられ、その後たびたび台湾の民主化を語る中で取り上げられる有名な事件となった。
ところがこの事件、単なる交通事故で政治的な背景は全くなかった可能性が示唆されている。当時陳水扁の“樁腳”をしていてこの事故を目撃した林昭泰という男性も、様々な調査の結果張榮財はれんがなどの建築資材を運んでいた単なる運搬人に過ぎず、政治的な背景は認められないと考えているとのことだ。また張榮財の一家は一貫して国民党以外や民進党の候補の支持者であったよし。
当時陳水扁は、この事件に関して台南地裁で審理が開始される前に突然刑事告訴や関連する民事賠償請求をいずれも取り下げている。ところがその声明文で「審判は公正さを欠いている」と指摘したことが、後々までこの事件に政治的な色合いを付与することとなった。
張榮財はこの十九年間、「政治テロ」の首謀者として周囲から白眼視され、弁解や謝罪の機会すら与えられてこなかったという。その間兄の妻が交通事故で亡くなったが、これも「当然の報い」などと世間から扱われてきたのだそうだ。彼は今でも良心の呵責にさいなまされながら、この国が政治的に盛り上がるたびに古傷をむし返され、テロ実行犯の汚名を着せられ続け、名誉回復もなされていないのだという。

張榮財的命運包袱,也許不比必須終身倚賴輪椅的呉淑珍來得沉重,但我們在這裡想要討論的是:一件單純的車禍,能不能就讓它回歸原貌,撕去「政治謀殺」的標籤?而一件尋常人都可能犯下的意外過失,有沒有被原諒的可能,還給他良心的平安?
一生を車椅子に頼らざるを得なくなった呉淑珍に比べれば、張榮財の背負った運命はまだ軽いと言えるのかもしれない。だがここで提起したいのは、これが単なる交通事故であるならば、張榮財を立ち直らせ、「政治テロ」のレッテルを剥がすことはできないのかということだ。我々のだれもが犯しうる過ちに、許しが与えられる余地はないのだろうか。彼が良心の平和を取り戻すことはできないのだろうか。

これまでこの事件に関しては私も「政治テロ」だと数々の本や資料で教えられてきた。当時の国民党政権の苛烈な独裁ぶりを伝えるエピソードとして、またその後の台湾の「民主化」や陳水扁率いる民進党の躍進と政権奪取などにつながる象徴的な出来事として、繰り返し喧伝されてきたように思う。ためしにGoogleで「政治テロ+陳水扁+夫人」とでも入力してみれば、様々な人がこの説をベースに自説を展開していることがわかる。

當陳總統執政進入第五個年頭,這也許該是他回首處理一下十九年前那件疑案的時候了。如果他仍懷疑是「政治車禍」,不妨讓司法徹底調查真相,別讓歷史留下黑塊;如果確認只是單純意外,則何不主動表示諒解,讓張榮財可以卸下自疚十九載的枷鎖,從他自己的良心牢獄裡釋放出來。
陳大統領の政権が五年目に入った今こそ、過去に目を向け、十九年前の疑惑をはらすべき時なのではないか。「政治テロ」であると今も疑っているのであれば、司直の手で徹底的に真相が究明されるべきであり、歴史に闇を残したままにすべきではない。そして単純な交通事故であったと確認されたら、そのときは進んで許しを与えるべきだ。張榮財の十九年間にわたる自責の枷を解き払い、良心の牢獄から彼を釈放してやるべきである。

償いきれない過ちは、もちろんある。だが本当にこの社説が訴える通りの背景なのだとしたら。政治的野心のために恣意的に利用されているのだとしたら、張榮財という男性の境遇に暗澹たる想いがこみ上げてくる。実際にはすでに、政治的背景はなかったと調べはついているのかもしれない。だが一般に流布されている情報はなかなか改まらない。私が今日まで漠然と「あれは政治テロ」ととらえていたように。

*1:“國語”における“総統”は「大統領」の意味。“美國總統布希”は「アメリカのブッシュ大統領」、“法國總統希拉克”は「フランスのシラク大統領」なので、それにならっておく。