インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

晴天

これまで聴いた周杰倫の曲のなかで一番気に入ったのがこれ。『七里香』と同じでテンポがゆっくりなので、まともに歌える。ラップもあるけど、かなりゆっくりだからついて行ける(笑)。作詞・作曲ともに周杰倫

故事的小黄花/從出生那年就飄著
童年的盪鞦韆/隨記憶一直晃到現在

相手役の女性は頼薇如という人だそうだ。のっけから“故事的小黄花”がよく分からない。「物語の小さな黄色い花」って何だ。“小黄花”は子供や女性を指すこともあるので彼女のことだと考えてみる。“從出生那年就飄著”「生まれたその年から漂っている」。後にもつながるが、総じてふわふわとはかないもの、「僕」がなかなか手に入れられないものを象徴しているのかもしれない。
“童年的蕩鞦韆/隨記憶一直晃到現在”「かつて遊んだブランコは/思い出とともに今も揺れている」。“鞦韆(ブランコ)”に「乗る」という動詞は“座zuo4”ではなく“盪dang4”。“盪”は“蕩”の異体字で「放蕩息子」の「蕩」だ。まさに「ぶ〜らぶら」することで、ブランコにぴったり。“だぁ〜ん”という発音もなんとなく「ゆやゆよ〜ん」という感じではないか。

ㄖㄨㄟ ㄙㄡ ㄙㄡ ㄒ一 ㄉㄡ ㄒ一 ㄌㄚ ㄙㄡ ㄌㄚ ㄒ一 ㄒ一 ㄒ一 ㄒ一 ㄌㄚ ㄒ一 ㄌㄚ ㄙㄡ
吹著前奏望著天空/我想起花瓣試著掉落

手をつなぎ海に向かって走る二人。そばには「黄色い花」。「日メヘ、ムヌムヌ……」ではない。これは台湾で用いられている注音字母 *1。日本語のかなにあたる符号で、漢字の読み、もしくは漢字にならない音を表す。
これは「レソソシドシラソラシシシシラシラソ」。この部分のメロディーをそのまま音階で歌っているだけだが、歌詞が足らずに「ラララ」などとごまかすのとは大違い。周杰倫の詞は後にちゃんとつながっている。
“吹著前奏望著天空”「前奏を吹きつつ空を見上げる」とあるから「僕」が楽器を吹いているのだ。少年の日の想い出……ならリコーダーだな、きっと。いや、ここで使われている楽器の音からするとピアニカかもしれない(^^)。
“我想起花瓣試著掉落”「花びらがまさに散ろうとしていたのを思い出す」。「花びらに風薫りては散らんとす(漱石)」か。花が「散る」という動詞にはよく“謝xie4”を使うが、ここではそれよりややドライな“掉落(落っこちる)”という言い方をしている。

為妳翹課的那一天/花落的那一天
教室的那一間/我怎麼看不見
消失的下雨天/我好想再淋一遍

まさに“翹課”しようとしているところ。“翹課”は授業をこっそり抜け出すこと。「君に会いたくて授業を抜け出したあの日/花が散ったあの日/校舎のあの一室」……“-ian”で脚韻を踏んだ、次々とフラッシュバックする過去の記憶。それらが“我怎麼看不見”「なぜ見えないのか」。戻らない過去に対する喪失感があふれてくる。花が散った、というのを彼女を失った、と重ねてもいい。
“消失的下雨天/我好想再淋一遍”「消えてしまった雨の日/もう一度降られてみたい」……雨の日に別れたのかもしれない。そこまで時計の針を巻き戻したい、と。“好想”は「〜したくてたまらない」という感情を表す。

沒想到失去的勇氣我還留著
好想再問一遍/妳會等待還是離開

「失ったと思っていた勇気がまだ僕に残っていたなんて/もう一度聞いてみたい/待ってくれるのか、それとも分かれてしまうのかと」。実際には彼女はもう手の届かない所へ行ってしまっているんじゃないかと想像する。今さら勇気を奮い起こしても遅いんだなあ。

颳風這天/我試過握著妳手
但偏偏/雨漸漸/大到我看妳不見

雨でチェロが台無しに。どうでもいいけど。タイフーンの“颱”に見えるが“颳gua1”。風が「吹く」ということ。風の中で“我試過握著妳手”「君の手を握ろうとした」。“但偏偏”「けれど」、“雨漸漸/大到我看妳不見”「雨が次第に強くなってきて、君の姿をかき消してしまう」。実際に風の中で手を取ろうとした、というより彼女と「僕」との関係を象徴的に描写しているのだろう。
“偏偏”は「折悪しく」といったニュアンス。「ビェンビェン」と歌っているように聞こえるが、有気音の「ピェンピェン (pian1pian1)」。これは周杰倫が有気音をあまり意識して発音していないことによる。この歌では全般的に物憂げな歌い方をしていて、有気音を強く出していない。強調すると元気がよすぎるのだ。喪失の歌が元気よくては始まらない。

還要多久/我才能在妳身邊
等到放晴的那天/也許我會比較好一點

「どれくらい待てば/君のそばにいられるようになるのだろう/いつか晴れるその日になれば/僕も少しはまともになれるのかもしれない」。晴れの日は来ないと自分でも分かっているんだねえ……哀しいね。

從前從前/有個人愛妳很久
但偏偏/風漸漸/把距離吹得好遠

「昔々/君をずっと愛していた男がいた」。典型的な「昔々、あるところに……」という“故事(物語)”の言い方。自分を“有個人”と客観視していることで、余計に寂しい感じがする。このへんがうまい。今度は風がだんだん強くなってきて、“把距離吹得好遠”「君との距離をこんなにも遠ざけてしまった」。

好不容易/又能再多愛一天
但故事的最後妳好像還是說了拜拜

“好不容易”は「やっとのことで」「非常な困難の末に」ということ。「やっとのことで/また君を愛することができたとしても/物語の最後でやはり君はさよならを言うのだろう」。最初に出てきた“故事”をここでも使って、最後をしめている。“拝拝(バイバイ)”という軽い言い方がまたあっけなくて悲しさ倍増。“餘音繞梁”、これを余韻と言わずして何と言おう。
全体として深い喪失感だけが「僕」に残る。周杰倫の歌はラップもかっこいいとは思うが、こういうしみじみした歌には実に彼の才能が現れていると思う。自らを“音楽人”と称する周杰倫、不世出の名曲。

*1:「ちゅういんじぼ」。注音符号とも。