インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

意図をとらえること。

id:toraneko285さんの『猫猫細語』に「画家と通訳者の認知の方法」として、画家がモデルを生身の人間としてではなく物体としてとらえていることと、通訳者が言語を分析的にとらえることの共通性を述べられていた(id:toraneko285:20040810#p2)。そして『荘子』に出てくる、牛の解体に熟達して融通無碍の境地に達した包丁の話を紹介されたあと、このようにおっしゃる。

通訳も同じで、経験を積み、スキルが上がり、観察が細かくなればなるほど、言語の表面にあるものに惑わされることなく、無理をしなくても内容を捉えて上手く料理することができるようになる。

確かにそうだ。言葉の表面に惑わされて、頭から「これってなんと言ったっけ」などと思考しているいるようでは、実際の訳出はおぼつかない。ここで言われている細かい「観察」とは、発言の一字一句を細かく見ていくということではないはずだ。その発言が何を意図しているかに細心の注意を払うということだろう。これは世間によくある誤解、通訳者は「言葉を訳す」につながる問題だと思う。大雑把な言いかたで気がひけるが、通訳者は言葉を訳すのではない。「意図を訳す」のだ。
あるとき、現場の若い日本人作業員からこんな質問を受けた。
「『さわってもいいですか』って、北京語でどう言えばいいんですか?」
それはどのようなシチュエーションで発せられる言葉なのだろう。最新鋭の機械があって、「ちょっと動かしてみたい」という意味だろうか。それなら機械を指さしながら“可不可以試試看?”などと言うだろう。劇物などの薬品を前にした発言なら“可以觸摸嗎?”かもしれない。要するに発言者の意図によって、選ぶべき表現が違ってくる。この作業員が期待しているらしい、「サワッテモイイデスカ」に一対一で対応するような定訳はないのだ。
果たして、この作業員の「意図」は、「いや、クラブでね、きれいなおねいさんと一緒になったときに……」であった(笑)*1
もちろん発言によっては一対一の定訳もありうる。ただしそれは例えばほんの短い、決まり文句のようなものだけだ。会議などで通訳者が訳出をするとき、もちろん発言の主旨は変えないし、前置きのような「繰り返しになりますが」「こんなことを言っては失礼かと思いますが」*2から、冗談のような物言いまでできるだけ忠実に盛り込もうとはする。また数字や固有名詞などはもちろん「言った通り」に訳す。だが全体として、言葉を次々に変換して訳出しているわけではない。全体の意図を再現しようとしているのだ。(たぶん、つづく)

*1:それなら言葉は不要なんじゃないの? にこにこして目を見つめてりゃいいわけで。言葉にするとかえって引かれてしまうと思いますがね。

*2:私は以前小さな出版社の編集をしていて、取材でプロの通訳者をお願いする立場にいた。インタビューの物言いは非常に気を使うので、こうした前置きの発言を端折らないでほしいのだが、訳してくれない通訳者も多かった。