インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

通訳者に必要なワザとして「演技力」があるのではないか。最近そう考えている。きっかけは以前にあった、こんなやりとり。

1. 日本人「今日は四番タンクの点検を行います」
2. 通訳者(私)「(訳す)」
3. 台湾人「五番タンクの点検も今日じゃなかったですか?」
4. 通訳者「(訳す)」
5. 日本人「あっ、そうでした。五番も今日点検を行います」
6. 通訳者「(訳す)」

どうということはない普通の会話だが、これを聞いていた台湾側の職員(彼は日本語がわかる)が「けっこう職務に忠実なんですね」と、褒めているんだか皮肉っているんだかわからないことをおっしゃる。
実はこの日「四番」と「五番」を同時に点検することは事前に知らされており、会議の出席者にとっては自明のことだった。もちろん私も知っている。日本側の担当者がうっかり「四番」だけを点検するかのように報告したので、台湾側が疑問に思って確認してきたわけだ。
ここでのポイントは、4.で通訳者が「はい、五番もです」と自分で回答しないことだ。いくら自分が知っていても、いちいち訳すのもばかばかしいほど自明の理であっても勝手に答えず、まるで何も知らないかのように振る舞って黙々と通訳をすることが何よりも大切。これは芝居を演じる感覚に近い。この原則をおさえるかどうかが会話や会議の混乱や双方の誤解を招かないために非常に重要なことだと思う。
もしここで通訳者が勝手に答えると、日本側が会話に取り残される。もちろん上記は卑近な例だが、いわゆる「素人通訳」を介した会議で混乱が起きる背景には、この「自分で答える」という一種の越権行為がある。現場で、台湾人の通訳者が台湾語でどんどん現地のワーカーと話を進めてしまい、日本人が「なんと言っているのか訳してください!」と怒っているなどというのはよく見かけるケースだ。
ただし、以前引用させていただいたid:toranekoさんの論文*1でも紹介されていたように、発言者の中には通訳者がそういう「越権行為」を発揮してくれることを期待しているような人もいる。「その方が面倒くさくなくていい」という不埒な考えなのだが、これは往々にしてあとから「そんなこと頼んでいない」「いや言った」などというトラブルに巻き込まれがちだ。
また言葉を伝えたい相手が目の前にいない時、通訳者に「あとで○○さんに『……を〜〜するように』と言っておいてください」と頼むようなパターンもよくある。もちろんその言葉を訳して伝えることはできるが、その上で相手から「いやあ、それはちょっと無理です」とか「その『……』とはどういう意味ですか」などと問い返されても通訳者は立ち往生してしまう。
通訳者は会話の仲立ち(interpretation)をするだけ(というより、それしか許されていない)なのであって調整(coordination)をするわけではないのだ。
もし私にコーディネーターをやれと言われていたのであれば、今の現場の仕事は絶対に引き受けなかった。私は生来の短気で、コーディネーターの資質は皆無といっていい*2。大陸でもこれで相手側の課長とけんかして首を切られた。通訳案内業(通訳ガイド)の免許は持ってはいるが、たぶん私のような人間にはつとまらないだろうと思う。「トイレに行きたい? さっき行ったばかりじゃないですか!」「ビールが冷えてない? 外国なんだからわがまま言わないの!」などとキレまくったうえ、路頭に迷うのが関の山だ。

*1:http://nikka.3.pro.tok2.com/irjc8.htm

*2:短気なら通訳者の資質にも欠けるのではないかという意見もあるが、それはさておき。