インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

会食時の通訳について、ロシア語通訳者の米原万里氏がエッセイを書いている*1。食卓での通訳者に食事を出さず、後ろに座らせて通訳させる、というスタイルについて。

これが事前にわかったときは、迷うことなく通訳の依頼をお断りしている。食い意地が張っている私だが、むろん、そのせいではない。完全に人格を否定されたような、奴隷扱いされているような屈辱感と不快感に苛まれるからだ。通常の相場の10倍の通訳料金を弾むと言われても嫌だと思うくらい、耐え難いことなのだ。
食卓から離れた所に同時通訳ブースが設けられて、食事中の人々の会話を通訳する場合はいい。私が、いや、私だけでなく、多くの通訳者が嫌がるのは、同じ食卓につきながら、通訳者にだけ食事を供さないやり方のことである。たとえ話が弾んで通訳者が食べる時間がなかったとしても、やはり、食事だけは必ず出しておいてほしいのだ。

米原万里「兆候はあるのだ。」/スペースアルク・通訳ソーウツ日記

私は米原氏と少し考えが違い、食卓での通訳者を後ろに座らせる、いわゆる「宮中晩餐会」方式にそれほど抵抗がない。むしろ他の出席者と同じようにテーブルに着かされ、食事が運ばれる方がかえってやりにくい。
なぜかと言えば、上にも書いたように、全く手をつけないわけにはいかなくなり、それだけ通訳の作業を阻害するからだ。話の流れを読みながら、発言がなさそうなタイミングを見計らって食べ物を口に入れたり*2、すぐに飲み下せるよう小さく切り分けたり、通訳しているそばからウェイターが話しかけてきたり*3と、とにかく気を使うことはなはだしい。奴隷根性が身についているのかも知れないが、私は後ろで黙々と通訳に専念するほうがいい。で、仕事が終わったあと、一人でぶらっと蕎麦でも食べに行く方がいい。
ただ、米原氏はゴルバチョフエリツィンの「食べない人の前で食事するなんて恥ずかしくてできない」という言葉を紹介し、「これが普通の人の普通の感覚なのではないだろうか」とする。確かにそうなのだ。こうした会食での通訳は何度もしたことがあるが、たいがい通訳者である私も会食者同様に席に着くことを要求され、食事も供される。「あなた(通訳者)が食べていないと私も食べにくい」とか「後ろに座って通訳してもらい、自分だけ食べるのは申し訳ない」とよく言われる。
通訳に専念するなら一口も食べずに後ろに座るのがベスト、だがその通訳の元になる会話の、なごやかな雰囲気の醸成には通訳者も食べることが不可欠。ことほどさように会食での通訳は気をつかう。

*1:http://www.alc.co.jp/eng/hontsu/soutsu/0006.html

*2:食べ物が口に入っていると通訳できないから。でもこの「読み」がいつもはずれる。

*3:こうした会談に慣れているホテルやレストランだと、気を利かせて通訳者には一切話しかけないよう、ウェイターに指導してくれる。