インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

通訳をする時、この「業界用語」に苦労する。主に仲間うちの符丁や社内だけに通用する言い方、あるいはその業界独特の省略語などだ。業界用語は必ずしも使えなくともよいが、聞いている方からすれば常識なので、「あ、この通訳さん、素人だな」という印象を持たれてしまう*1
温度や圧力が一定程度にまで上がったあと(または下がったあと)、平衡状態に達して変化がなくなることをエンジニアの間では「サチる」という。「飽和」を意味する“saturation”から来ているのだそうだ。
クレーンの操作を指示する時、ワイヤーの巻き上げを「ゴーヘイ」といい、巻き下げを「スラー」という。これは“go ahead”と“slack away”から来ているらしい。
可燃物を扱う施設のそばには必ず消火設備があるが、その中で水ではなく消火器のように粉を使って火を消すシステムがある。“Dry chemical system”のことで、北京語では“乾粉消防系統”。だが“我們對乾粉消防系統執行定期檢査”という発言を「我々は『粉を吹かせる消火システム』の定期検査を……」などと訳しては「これだからトーシロさんは〜。ジャガイモじゃないんだからさぁ」とつっこまれること必定で、これはぜひとも業界っぽく「我々は『ドラケミ』の定期検査を……」とキメなければならない。
最初、この現場に来たばかりの時は慣れずに素人ぶりをさらけ出していた私も、今ではいっぱしに“温度達到臨界後,碟閥微開,維持最低流量操作。”→「温度がサチったらバタ弁微開で、ミニフロ運転を維持します」などと、業界人を装っている*2。たまに日本から技術会議に出張して来た方から、休み時間に「よくご存じですね。この業界は長いんですか」などと言われるが、実はごくごく表層の言葉だけの知識でしかない。だから、何を勘違いされたかその方から、「で、サチったあとのΔtに安全率αがどうたらこうたら……」などということを質問されるや、たちまち馬脚を現してしまう。
私は同じ現場で通訳者を続けているから、こうした業界用語も何とか身についてきた。だがフリーランスで毎回違った分野の通訳をされている第一線の方々の苦労はいかばかりかと思う。毎回その会議に出席している人の中で自分が一番素人に近いという状況で、聞く方がストレスを感じない程度には業界用語を仕込んでおかなければならないのだから。

*1:その通り、ずぶの素人なのだけれど。

*2:ただしやりすぎると嫌みになる。あくまでも控えめに、それなりにまじめに勉強してきましたがどうぞお手柔らかに的慎ましさが大切(^^;)。