インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「我が国の伝統」ってなに?

天皇と皇后のお二人が、即位に関する一連の儀式が終了したことを伊勢神宮に報告する「親謁の儀」が行われたという報道に接しました。

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https://iseshima.keizai.biz/headline/3350/

天皇陛下は「黄櫨染御袍」に「立纓御冠」「御挿鞋」を身に着け、儀装馬車にお乗りになり親謁の儀に臨まれた。

約三十年前に行われた同様の儀式の際にも思ったんですけど、こうした伝統装束を身にまとって儀装馬車に乗るというの、どなたも違和感を覚えないのかな。だってこれは明らかに西洋風の馬車ですから、とんでもなくちぐはぐな印象を受けるんです。後ろに乗っている従者(?)のようなお二人の服装もかなりクラシックな西洋風ですし、こう言っては大変失礼ですが、珍妙極まりない画に見えます。

まあだからといって例えば「牛車(ぎっしゃ)」に乗るというわけにも行かないんでしょうし、そもそも皇室行事のかなりの部分が「伝統伝統」と言いながらも西洋風の伝統を折衷して取り込んでいるので(通常の公務は大概洋服ですよね)、いまさら「それがどうした」ってことになるんでしょう。でも、ふだん声高に日本の伝統を守れと叫んでいる方々など、この写真を見て憤慨することしきりなんじゃないかと心中お察し申し上げる次第です。

もっともそれを言うなら「袍」や「冠」だって、もともとは中国大陸由来なんですけどね。こういうふうに何でも取り込んで自家薬籠中の物にしちゃうのが日本の無節操かつとても良いところで、例えば「餅入りチーズキムチもんじゃ」とか「和風フォアグラ丼」みたいな素晴らしいクロスオーバーっぷりを発揮しているんですけど、だったらその分、ふだんからあんまり「我が国の長きにわたる伝統」とか「美しい固有の文化」とか強調するのはよしましょうよ、もう少し慎みというものを持ちませんか、と思います。

他人の目など気にしない

東京新聞朝刊の生活欄で連載されている、作家・広小路尚祈氏のコラム「炊事 洗濯 家事 おやじ」をいつも楽しみに読んでいます。

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タイトルからも分かる通り、以前このコラムは確か、作家兼「主夫」である氏の兼業主夫っぷりが毎回活写されていたように思うのですが、最近は大学受験の浪人中だという息子さんのことばかり書かれています。「どんだけ息子さんが好きなんだ」とツッコみたくなるほどですが、子供がどんなに大きくなってもこうやって愛情を示し続ける、しかもそれを公言してはばからないというの、とってもいいですよね。

今朝のコラムは、息子さんが「ハマって」らっしゃるという筋トレについて書かれていました。「あんまり鍛えると、おしゃれな洋服が似合わなくなる」「筋肉を鍛えるには、それなりにコストがかかる」「地道なトレーニングと自己管理が必要」……何でもないような記述ですけど、たぶん筋トレをやってらっしゃる方には、いちいちうなずける文章だと思います。

世間的には「筋トレをやっている」というと、おおむね身体の審美的造形を競う「ボディビル」のイメージからか、「ちょっと引く」方が多いんですけど(考えてみればボディビルダーに失礼ですが)、一般のサラリーマンにとってはもう少しストイックというか抑制の効いた趣味、ないしは自己肯定感を持てる愉しみ(動かせる「重さ」の数字が上がっていくから)なんですよね。さらに言えば、他人の目を気にせず一人になれる時間が持てるというか。

筋トレで「重さ」に向き合うときは、雑念をめぐらす余裕がありません。仕事でイヤなことがあっても、ストレスで疲れ切っていても、それを鎮めてくれる、ないしはリセットしてくれるような爽快感があるのです。昨今のジムはどこでも、比較的大きな音量の音楽がかかっていて騒がしいですし、ワイヤレスイヤホンで何かを聴きながらトレーニングされている方も多いですけど、私はそういう環境で、できるだけ自分の精神の底に潜り込んでいくようにするのが好きです。

何かの本で読んだ「ダンベルは友達。人間は裏切るけど、ダンベルは裏切らない」という至言(ただしこれを人に言うと、それこそ引かれます)の通り、重力という絶対的な物理法則に支配された筋トレの世界には、その「重さ」に向き合う世界に没頭することで、周りの世界をシャットアウトしてくれるような働きがあるような気がします。だから「ハマる」人も多いのかと。まあこれは、マラソンでも登山でも水泳でも、何でもいいっちゃいいんですけどね。

今朝のコラムに登場した広小路氏の息子さんや、そのご友人は、いずれも「他人の目など気にせず、我が道を行く。同調圧力の強い日本社会にあって(中略)まことにあっぱれな若者」であるそうです。そうそう、他人の目など気にせず自分のタスクに没頭できるのが筋トレのいいところです。ジムには色んな人がいて、中にはマナーの悪いおじさんなんかも出没するのですが、そういう存在をシャットアウトする心のありようとか、見事な筋肉の若い人を見てついつい自分のポッコリお腹と比較しちゃうみたいな詮無い雑念を振り払う心のありようとか、そういう修養の場にもなる。

パーソナルトレーニングに通っているジムのトレーナーさんによると、欧米では幼い頃から筋トレをするある種の文化があるのだそうです。だからホテルなんかにも必ずと行っていいほどジムが併設されているんですね。そういう身体を鍛える文化というのは、同時に心も鍛える効果があるのかもしれません。心を鍛えるという点は、日本で言えば座禅を組むようなものかなあ。座禅もまた、他人の目など気にしていては集中できないですよね。

他人を気にしたり、他人と比較したりしても、筋肉はトレーニングしただけしかつかない。これは語学でも同じですよね。「一週間でマッチョに」という筋トレが存在しないように「一週間でペラペラに」も存在しません。語学もストイックに「他人の目など気にせず、我が道を行く」のが吉だと思います。

語呂合わせでフィンランド語を覚える

フィンランド語は格変化が激しい言語ですが、変化をさせるためには元の形、つまり辞書形(原形)を知らなければ始まらないので、教室では先生が毎回授業の最後に「みなさん、とにかく単語を覚えてくださいね」とおっしゃいます。それでExcelで整理した単語をQuizletのアプリに入れて、スマホで通勤途中にせっせと覚えているのですが、名詞は比較的スムーズに覚えられるのに、動詞や形容詞、副詞などはなかなか定着してくれません。抽象的な言葉になるほど、なおさら。まあ、当たり前といえば当たり前なのですが。

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https://www.irasutoya.com/2015/06/blog-post_88.html

こういうときは、邪道ではありますが「語呂合わせ」に頼るのもひとつの方法です。むかしむかし、ワインの資格試験のために勉強していたときも、例えばフランスのワイン産地(AOC)とその特徴を覚えるために、たとえば「赤・ロゼ・白・黄、何でもアルボワ」(AOCアルボワは、すべての種類のワイン生産が認められている)みたいな文章にして覚えていました。そういう語呂合わせを集めた受験用の必勝本も出版されているんですよ。

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ワイン受験ゴロ合わせ暗記法 2019

というわけで、フィンランド語で覚えにくい単語は、できる限り語呂合わせというか、何かのイメージに結びつけて頭に刻みつけています。例えば動詞なら、こんなぐあい。

antaa(アンター/あげる):アンタにあげる。
asua(アスア/住む):アスア(明日は)ここに住む。
avata(アバタ/開ける):墓をアバこうと開ける。
häiritä(ハイリタ/〜を邪魔する・〜に迷惑をかける):中にハイリタ(入りた)いとゴネて迷惑をかける。
heiketä(へイケタ/弱まる):壇ノ浦の合戦でヘイケ(平家)の力も弱まる。
istua(イストゥア/座る):イスに座る。
jäädä(ヤーダ/〜に留まる):帰るのはヤーダとここに留まる。
jaksaa(ヤクサー/〜する気力がある):ヤクザと対峙する気力がある。
kantaa(カンター/持つ・運ぶ):重い荷物を“扛(káng…中国語の「肩で担ぐ」)”する。
keskustella(ケスクステッラ/会話する):クスクスと笑いながら会話する。
koettaa(コエッター/〜するのを試みる):課題をコエよう(越えよう)と試みる。
korjata(コルヤタ/修理する):自転車の修理にコル(凝る)。
kulkea(クルケア/歩く・走行する・川が流れる):あっちから歩いてクルケア。
maata(マータ/横たわる):まーたアンタはここに横たわってるわね!
maistua(マイストゥア/味がする):これは甘くてウマイ(美味い)味がする。
nukkua(ヌックア/眠る):ヌクヌクと眠る。
onnistua(オンニストゥア/成功する):成功したのはあの人のおかげとオンニ(恩に)着る。
ottaa(オッター/取る):ここにオッタ(あった)と取る。
pestä(ペスタ/水で洗う・洗濯する・歯を磨く):歯磨きペースト(ペスタ)で歯を磨く。
puuttua(プーットゥア/足りない・欠けている):おやつが足りないと言ってプーッとふくれる。
sulaa(スラー/溶ける):雪や氷がスラーっと溶ける。(苦しい……)
sulkea(スルケア/閉める):スルスルと閉める。
tarjota(タルヨタ/おごる・提供する):これでタル(足る)かな? とごちそうする(おごる)。
tarttua(タルットゥア/〜にくっつく・染み付く):タルタルソースが服に染み付く。
tavata(タバタ/会う):タバタ(田端)で人に会う。
tottua(トットゥア/〜することに慣れている・いつもする):この作業には慣れ「とっと」(博多弁)。
uskoa(ウスコア/信じる):ウス(嘘)を信じる。
vaatia(ヴァーティア/要求する):ヴァーター(バーター)取引を要求する。
valita(ヴァリタ/選ぶ):様々なヴァリエーションの中から選ぶ。
välittää(ヴァリッター/〜気にする):このプラスチックはヴァリ(バリ)が多いと気にする。

……う〜ん、ハッキリ言って「語呂合わせ」と称するのも恥ずかしい限りですが、まあ自分の記憶に残ればよいのです。幸いフィンランド語は、発音については比較的易しい( ä や o や r を除けば、ほとんどローマ字読みで近似の音が出せます)ので、こういう語呂合わせもそれなりに役に立つかなと思います。

もっとも、ワインの資格はこうやって必死で覚えてなんとか合格したのですが、その後はすっかりさっぱり頭の中から消え去ってしまいました。やはり試験突破の方策としては有効でも、本当の知識にはなっていないんですね。フィンランド語の語呂合わせもほどほどにしておいて、もっとフレーズや文章全体で、そして格変化なども意識しながら覚えていきたいです。

能楽を盛り上げる「熱」について

勤務先の学校では、世界各地から集まった約80名ほどの外国人留学生が、日本語と通訳・翻訳などを学んでいます。せっかく日本で学んでいるのだからということで、日本文化に関するカリキュラムもいくつか組まれているのですが、そのうちのひとつに伝統芸能鑑賞があります。能楽や歌舞伎、文楽などの公演を観に行くのです。

ただ観に行くだけではもったいないので、事前にそうした伝統芸能の基礎知識を勉強したり、もし日本の伝統芸能を諸外語で発信するとしたらどんなふうに伝えるか、訳すか……を考えたりといった課題を作って授業を行っています。

今年は、東京にある国立能楽堂の「能楽鑑賞教室」に留学生全員で参加しまして、私はその際に能楽堂に置かれていた「能楽入門」というパンフレットをもらってきました。日本語版の他に英語版や中国語版もあります。ほかにも以前、個人的に国立能楽堂の公演を観に行った際、「学んでみよう能・狂言」というパンフレットをもらったこともあり、こちらも日本語版や英語版、中国語版を手元に持っています。

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しかも毎年卒業前に同時通訳による講演会通訳実習があって、今年は能楽に関する講演を専門家の方にお願いしました。ちょうど今年は「能楽鑑賞教室」で能楽に触れ、少なからぬ留学生が「すばらしかった!」と言っていたことでもありますし、もう少し基礎知識や専門知識を勉強して通訳実習に望めば、それなりの成果が望めるのではないかと期待しています。

というわけで、国立能楽堂に連絡して、こうしたパンフレットを留学生用にもう少しいただくことはできませんかと相談してみました。無断でコピーするのは、やはりまずいですもんね。それで、まず「学んでみよう能・狂言」について聞いてみたのですが、「それはなんですか?」と言われました。あれ? このパンフレットは国立能楽堂でもらったのですが……。

でも色々と聞いてみると、このパンフは国立能楽堂ではなく、公益社団法人能楽協会が発行しているものなのでした。そう言われてみると表紙には「能楽協会」と書かれています。私は国立能楽堂能楽協会を漠然と一緒くたにして考えていたわけですね。「能楽協会の配布物については能楽協会に聞いてください」と言われたので、じゃあ国立能楽堂が配布している「能楽入門」を分けていだだけませんかとお願いしてみました。

そうしたら、担当の方が「ちょっとお待ち下さい」と電話を保留にすることしばし(たぶん上司の方と相談されていたのだと思います)、「基本的には能楽堂に来られた方のための配布物なので、ご希望には添いかねます」とのお返事。もちろん複写もだめとのこと。でももう一度留学生全員で国立能楽堂まで出かけてもらってくることもできないので、「能楽入門」を教材に能楽を学ぶという教案はあきらめました。

一方、「学んでみよう能・狂言」を作っている能楽協会にも連絡して、同様の趣旨を説明したのですが、こちらも非常に事務的な対応で「けんもほろろ」でした。もちろん複写も不可で、使いたいなら英語版と中国語版を一冊220円で販売しているのでそれを人数分購入してくださいとのこと。う〜ん、まあ220円×80名=17600円ですから、それくらいは上司と交渉して出してもらいましょう。

うちは私学ですし、もちろんこういった教材はキチンと予算を組んで購入し、教育に使うべきです。その点で国立能楽堂さんも能楽協会さんも当然の対応ですし、それを批判するつもりはまったくないのですが、ただあの事務的な冷たい対応が何となく心にひっかかりました。留学生が能楽を学びたいと伝えても、何というのかな、「それは嬉しいですね!」といった「熱」を電話口から感じなかったのです。

パンフをタダでくれなどと図々しいことを言うつもりはありません。それは予算を組みますからいいのですが、電話口で「わー、それはぜひ予算を組んでいただいて、留学生の方に学んでいただきたいですね!」みたいに盛り上がる「ノリ」がぜんぜんないのです。事務的な声で、ダメです、できません、ありません、他をあたってください……と否定一辺倒で。能楽の伝統を保持し、普及・発信していくのがお仕事のはずなのに、どうしてあんなに「熱」がなく、消極的なのかなと。

でもそこではっと気づいたのです。そうか、国立能楽堂能楽協会にお勤めの方が、必ずしも能楽関係者とは限りませんよね。だから他の団体の発行物については知らないし、外国人への能楽の普及にもあまり熱い気持ちを持っておられないわけです。そして国立能楽堂文部科学省文化庁)所管の独立行政法人日本芸術文化振興会ですから、いわゆる「お役所的」な対応も不思議ではないのかもしれません。能楽協会能楽師の方々の団体ですからお役所ではありませんが、事務局の方が能楽関係者とは限らないですもんね。

諸外国の、伝統芸能に対する、特に教育における普及に対する「熱」の入れようはどうなんでしょう。芸術や文化の大切さについて理解の深い国や政府なら、こういったところに大きな予算を割くのではないかと思いますが、今回感じた「熱」の低さを見る限り、本邦ではあまり予算が回っていないような印象を持ちました。国立能楽堂さんも能楽協会さんも大変ですよね。

胸が揺れている

先日、午前中の仕事を終えて、次の用事に間に合うよう地下鉄の駅まで走っていた時、身体にこれまでに体験したことのない感覚を覚えました。なんだろうこれは……と思ったら、なんと「胸が揺れている」のでした。

男性版更年期障害とでもいうべき不定愁訴の解消を目指し、ジム通いを始めて二年あまり。特に筋トレだけを中心にやっているわけではないので、マッチョな体型になったというわけでもないのですが、多少は胸筋がついてきたのでしょう、鎖骨から下になにか重いものがあって、それが上下に揺れているという感覚は、なかなかに新鮮です。

以前、ジョギングやマラソン愛好者の女性から、胸が揺れるのでウェアの選択にこだわっているとか、いわゆる「ニップレス」パッドを使っているなどの「お悩み」を聞いたことがあるのですが、なるほど、こうやって揺れるものが身体についていると、走るときは気になるだろうなあと実感を伴って理解できたのでした。

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https://www.irasutoya.com/2017/03/blog-post_813.html

フィンランド語 50 …格変化の練習・その4(複数分格)

複数分格を学びました。先生によると、この複数分格はとてもよく使われるということで大事な格だそうです。その前に、どんな時に複数分格が使われるのか、これまでに学んだ文型を復習しながら確認しました。

●「A olla B(AはBである)」の文(第一文型)

① Kirja on kallis.(本は高い)
数えられる名詞の場合、述語は単数主格(辞書形)でした。
② Maito on kallista.(牛乳は高い)
数えられない名詞の場合、述語は単数分格になりました。
③ Kirjat ovat kalliita.(本たちは高い)
主語が複数ならolla動詞も複数、そして述語も複数分格になります。「本たち」という日本語は不自然ですけど、日本語ではこういう単数・複数や加算・不加算をあまり意識しないんですよね。

代名詞を使っても同じです。

① Tämä on kirja.(これは本です):単数主格
② Tämä on maitoa.(これは牛乳です):単数分格
③ Nämä ovat kirjoja.(これらは本たちです):複数分格
これらの本たちということで複数主格の「kirjat」を使ってしまいがちですが、ここは複数分格になるんですね。

●存在文・所有文(第二文型)

「〜ssA on 〜」や「〜llA on 〜」のような「〜に〜がある」を表す存在文、「人称代名詞 + llA on 〜」のような「だれそれは〜を持っている」を表す所有文の場合です。

① Pöydällä on kirja.(机の上に一冊の本があります):単数主格
② Pöydällä on kaksi kirjaa.(机の上に二冊の本があります) :単数分格
③ Pöydällä on kirjat. (机の上に全ての本があります):複数主格
④ Pöydällä on kirjoja. (机の上に何冊かの本があります):複数分格
複数には「ひとつ以外の複数(②)」か「全部(③)」か「不定量数(④)」かの三種類がありえるということでした。さらに、数えられない名詞については単数分格をとるのでした。
⑤ Lasissa on vettä.(グラスの中には水があります):単数分格
それと、否定文の目的語は常に分格というのもありました。
⑥ Pöydällä ei ole kirjaa.(机の上に本はありません):単数分格

●「〜を〜する(動詞+目的語)」の文(第三文型)

① Minä luen kirjan.(私は一冊の本を読みます):単数対格(ひとつ)※単数属格と同じ形
② Minä luen kaksi kirjaa.(私は二冊の本を読みます):単数分格(ふたつ=ひとつ以外)
③ Minä luen kirjat.(私は全ての本を読みます):複数対格(ぜんぶ)※複数主格と同じ形
④ Minä luen kirjoja.(私は何冊かの本を読みます):複数分格(いくつか=不定量数)
これも、否定文の目的語は常に(加算・不可算に関わらず)分格でした。
⑤ Minä en lue kirjaa.(私は本を読みません):単数分格
⑥ Minä en juo kahvia.(私はコーヒーを飲みません):単数分格
⑦ Minä en lue tätä kirjaa.(私はこの一冊の本を読みません):単数分格(代名詞 tämä も単数分格)
⑧ Minä en lue näitä kirjoja.(私はこれらの本を読みません):複数分格(代名詞 tämä も複数分格)

複数分格

こうしてみると、日常生活で複数分格を使う機会は多そうです。ひとつだけ、とか、ぜんぶ、などと極端なシチュエーションより、いくつかという不定数量を言うことは多いでしょうから。複数分格は単数分格からではなく単数主格(原形・辞書形)から作ります。まず語幹を求め、語幹の最後が母音1つなら、i を足して母音交替をしたのち A を足します。

kukka(花)
① 語幹はそのまま「kukka」。
② 分格なので「kpt交替」はなし(一部逆転の場合はあり)。
③ i を足して母音交替。この場合は i の前が a でかつ最初の母音が o,u なので a が消えて「kukki」。
④ 語幹の最初の母音は1つだったので a を足して「kukkia」。

語幹の最後が母音2つなら、i を足して母音交替をしたのち tA を足します。

maa(国)
① 語幹はそのまま「maa」。
②「kpt交替」はなし。
③ i を足して母音交替。この場合は i の前が aa なので前の a が消えて「mai」。
④ 語幹の最初の母音は1つだったので ta を足して「maita」。

最後が三重母音になってしまう場合は i を j にします。

kirkko(教会)
① 語幹はそのまま「kirkko」。
②「kpt交替」はなし。
③ i を足して母音交替。この場合は i の前が a でかつ最初の母音が o,u 以外なので a が o になり「kirkkoi」。
④ 語幹の最初の母音は1つだったので a を足して「kirkkoia」。
⑤ 最後が三重母音になってしまうので i を j にして「kirkkoja」。

ただし例外があって、ri で終わる、人をあらわす単語(全て外来語だそうです)は ri をそのまま reitA にして複数分格を作るそうです。

naapuri(隣人):ri を reita にして「naapureita」。
kaveri(友達):ri を reita にして「kavereita」。

これで「複数属格」以外がすべて埋まりました。先生から予告がありましたが、残る複数属格は、複数分格から作るのだそうです。あともう一息です。

単数主格(辞書形) kirkko 複数主格 kirkot
単数属格(〜の) kirkon 複数属格
単数対格(〜を) kirkon 複数対格 kirkot
単数分格(〜を) kirkkoa 複数分格 kirkkoja
単数内格(〜の中で) kirkossa 複数内格 kirkoissa
単数出格(〜の中から) kirkosta 複数出格 kirkoista
単数入格(〜の中へ) kirkkoon 複数入格 kirkkoihin
単数所格(〜の表面で) kirkolla 複数所格 kirkoilla
単数離格(〜の表面から) kirkolta 複数離格 kirkoilta
単数向格(〜の表面へ) kirkolle 複数向格 kirkoille
単数変格(〜になる) kirkoksi 複数変格 kirkoiksi
単数様格(〜として) kirkkona 複数様格 kirkkoina

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Suomessa on lukemattomia erikoisia saunoja.

フィンランド語 49 …格変化の練習・その3(複数形の格変化)

複数形は、語幹と語尾の間に i を足すのですが、この時に i の前にある母音との間で「母音交替」という現象が起きます。母音交替については、過去形や複数形を学んだ時に出てきました。

qianchong.hatenablog.com

この母音交替については、先生から交替のパターンを暗記するように指示がありました。自分なりにまとめてみると、こうなります。まずは単語の語幹を求め、その上で……

語幹の最後の母音 i を足した後の母音交替の結果
o,u,y,ö 不変化
e 消える
i eに変わる
長母音(aa,ooなど)と二重母音(uo,yöなど) 前の母音が消える
後ろが i の二重母音(oi,uiなど) 後ろの i が消える
二音節の単語で ä 消える
二音節の単語で a で最初の母音が o,u 消える
二音節の単語で a で最初の母音が o,u 以外 o に変わる
三音節以上の単語で a,ä ※特殊な変化

この中では、i が e に変わるというのが過去形と異なっています。過去形のときは、たとえば「oppia(学ぶ)」の語幹が「oppi」で、そこに i をつけると i が消えて結局「opin(私は学んだ)」のようになったのですが、複数形ではたとえば「hissi(エレベーター)」の語幹がそのまま「hissi」で、そこに i をつけると i が e に変わって語幹が「hissie」になり、そのあと格変化の語尾をつけてたとえば「hissiessä(複数のエレベーターの中で)」などとなる、と。

また三音節以上の単語でかつ a,ä で終わる場合には ※ をつけた特殊な変化があって、これも覚えるように指示がありました。

語幹の最後 母音交替後の形
vA vi
mA mi
eA ei
lA loi
iA ioi
AjA Aji
lijA lijoi
nA(名詞) noi
nA(形容詞) ni
rA(名詞) roi
rA(形容詞) ri
kkA koi

う〜ん、大変です。でもこれらはネイティブスピーカーであれば発音しやすいように無意識のうちに調整して自然にできることなんですよね。何度も練習して、最初は知識として変化させられるように、そして最終的にはそういうネイティブと同じような感覚を身体に覚えさせるしかありません。

これでたとえば「kirkko(教会)」の複数内格なら……
①語幹はそのまま「kirkko」。
kpt の変化としては kk → k なので「kirko」。
③そこに複数の i を足して「kirkoi」。
④母音交替のパターンでは i の前が o なので不変化。
⑤よって「kirkoissa(複数の教会の中で)」……となります。

ちなみに「複数様格」は kpt の変化がありません(kirkkoina)。また「複数入格」はすでに学びました。

qianchong.hatenablog.com

これで「複数属格」と「複数分格」以外がすべて埋まりました。

単数主格(辞書形) kirkko 複数主格 kirkot
単数属格(〜の) kirkon 複数属格
単数対格(〜を) kirkon 複数対格 kirkot
単数分格(〜を) kirkkoa 複数分格
単数内格(〜の中で) kirkossa 複数内格 kirkoissa
単数出格(〜の中から) kirkosta 複数出格 kirkoista
単数入格(〜の中へ) kirkkoon 複数入格 kirkkoihin
単数所格(〜の表面で) kirkolla 複数所格 kirkoilla
単数離格(〜の表面から) kirkolta 複数離格 kirkoilta
単数向格(〜の表面へ) kirkolle 複数向格 kirkoille
単数変格(〜になる) kirkoksi 複数変格 kirkoiksi
単数様格(〜として) kirkkona 複数様格 kirkkoina

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Minä menin monta kirkkoihin viime kesänä.

ふたたびあの「薄いビニール袋」について

スーパーのレジで「袋、要りません」と告げても、肉や魚や野菜をひとつひとつ薄いビニール袋に入れてくれちゃう。アレをどうやって避ければいいか……という話を以前書いたことがあります。

qianchong.hatenablog.com

そしたら、先日職場で偶然レジ袋や「マイバッグ」の話になった時に、英国人の同僚が同じことを言っていました。「あの薄いビニール袋は何の意味があるんですか」って。彼もマイバッグを持参するそうですが、毎回あの薄いビニール袋を断るのが面倒だとのこと。「僕、『袋は要りません』と言いましたよね?」とレジ係の人に詰め寄るんだそうです。おお……私はそこまでの勇気がないですけど、彼の気持ちはよくわかります。

なんというか、エコとか「もったいない」とかそういうのは全部すっ飛ばして、ほとんど自動的にビニール袋を使っちゃうその「思考停止感」に引っかかりを覚えるんですよね。中には「袋、要りません」と告げてあるのに、自動的に(習慣的に?)何枚もレジ袋をつけてくれちゃうレジ係の方も時々います。英国人の同僚は「レジ袋などを一切つけないというのをデフォルトにして、欲しい人がその都度告げるようにすべき」と言っていました。おお……さすがのロジカルシンキング。その通りです。

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https://www.irasutoya.com/2018/11/blog-post_97.html

スーパーのレジで「袋、要りません」と言っているにもかかわらず、あの薄いビニール袋に入れてくれようとするのでその都度「それも要りません」と言うと、レジ係の方はちょっと意外という顔をします。それだけ奇妙な要求なんですね、現時点では。中には、スムーズなレジ業務を阻害されたとばかりに、あからさまに「ムッ」とした顔をされる方もいます。

まあレジ係の方にしてみれば、ただでさえクソ忙しい業務の最中なのに、そんな「意識高い系」の人の自己満足に細かくつきあっていられないよ、ってことなのかもしれませんけど。でも、だからこそ英国人の同僚の言うように、基本レジ袋は廃止にするほうが、レジ係の方もラクなんじゃないかと思います。先般フィンランドのスーパーで観察していたら、レジ袋はレジで告げると有料でつけてくれるシステムになっていました。そして薄いビニール袋は……そもそもそんなものは存在しませんでした。

この問題、日本でもけっこう以前から議論になっていますけど、いまだにはかばかしい進展が見られませんね。これは畢竟、私たち消費者の側がレジ袋について旧態依然とした考え方から抜け出せてないからなんでしょう。だからスーパー側も一歩前に踏み出せない。たかがスーパーのレジ袋ですけど、何かこう私たちの社会に蔓延する停滞感や閉塞感の一端が現れているなあという気がするのです。

自分の持ち場に対する矜持のようなもの

私の職場は都心のターミナル駅にほど近い街なかにあって、系列の大学や大学院、専門学校などが集まったビル群のようなキャンパスになっています。本館のメインエントランスに守衛さんがいて、すべての部署や研究室の鍵を管理しており、毎朝そこへ行って職員証を提示し、鍵を受け取って仕事場に行くのが日課です。

対応してくださる守衛さんは毎日違うのですが、二週間に一度ほど出会う若い守衛さん(おそらく二十歳代前半)は、私がカウンターに向かって歩いている段階、しかも「○○研究室です」と告げる前から鍵を手にしていて、すぐに手渡してくれます。キャンパス全体で様々な部署や研究室の数はたぶん数百は下らないと思いますし、もちろん私が有名人というわけでもないのに、なぜ?

というわけで、今朝もたまたまこの若い守衛さんだったので、思い切って話しかけてみました。
「部署を言わなくても分かるんですね」
「いつも鍵を取りに来られる方は分かります」
「顔を覚えているんですか?」
「そうです」

なるほど、私はいつも職場近くのジムで早朝から「朝活」ののち出勤するので、うちの研究室の鍵は常に私が受け取っています。とはいえ、そういう部署はこのキャンパス内にはたくさんあるはず。しかもこの守衛さんが鍵の受け渡しを担当されるのは毎日ではなく二週間に一度ほどなのです。人の顔と名前を覚えるのが極端に苦手な私には信じられない技術です。「それはすごいですねえ」と言ったら、「いや、そんな……」と照れてらっしゃいました。う〜ん、カワイイです。

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https://www.irasutoya.com/2017/10/blog-post_35.html

私はこの方のように、自分の職場や持ち場で求められるものは何かと常に考え、人知れず努力なり工夫なりされている方を心から尊敬します。もちろん部署名を聞いてから鍵を探して渡したって守衛さんとしての仕事は十分にまっとうしているのですから、人によってはこの若い守衛さんのような仕事の仕方を「オーバースペック」だと言うかもしれません。「働き方(働かせ方)改革」の声かまびすしい昨今にあっては、なおさら。

でも、様々な部署の教職員が入れ代わり立ち代わりやってきては鍵を受け取っていくその「現場」で、少しでもスムーズに効率的に鍵を渡せる方法はないかと考えた結果、できるだけひとりひとりの顔を覚えようとこの守衛さんは考え、それを実行に移したわけです。上司に「やれ」と命令されたわけでもなく、教職員に「遅い」と苦情を言われたわけでも(おそらく)ないのに。

これって、自分の仕事に対する「矜持」なんですよね。誇りを持って仕事をしているというか、仕事に自分なりの楽しみややりがいを見つけているというか。もちろんこういう仕事への姿勢を賛美し続けていくと、私の嫌いな「日本スゴイ」に行き着いちゃう危うさはあるんですけど、どんな職場や持ち場でも、あるいは国や地域を問わず、こうやって自分の仕事に誇りを持ち、前向きに誠実に働いている方はいます。そういう方に出会うと、とても嬉しくなって自分もぜひそうありたい……と思うのです。

ふたたび「外食の味が濃すぎてつらい」

ふだん仕事に出ている時のお昼ごはん、以前はたいてい簡単なお弁当を作っていましたが、最近は少々忙しくて職場付近の外食で済ませることも多いです。……が、以前にも書いたように、東京の外食はおしなべて味が濃く、塩辛くて、本当につらい。それで近くにある「丸亀製麺」さんに行って、自分で味を調節することができる「釜玉」や「釜揚げ」ばかり食べています。

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それでもたまには汁物のうどんも食べたくなるので「かけ」など頼むのですが、やっぱり塩辛くてそのたびに後悔します。仕方がないからコップの水を足したりしているんですが、先日は何を血迷ったかこの時期のおすすめという「玉子あんかけ」を注文してしまいました(寒かったから……)。そしたらこれがもう塩辛くて塩辛くて。あんかけだから水を足すのも何となく気が引けて、結局ガマンして食べました。あああ、塩辛さで眉間の奥あたりにジーンと痛みを感じます。

関西などで見かける、あのお出汁が「しゅんでる」薄味のおうどんが食べたいなあ。丸亀製麺さんには給水器があるんですけど、せめてあれをオフィスなどでもよく見かける温冷両方出る給水器にしてくれないかなあ。そうしたら「かけ」出汁も「釜揚げ」のつゆも少し薄めることができるのに。

というわけで、その日丸亀製麺で食べた時に卓上においてあった、このアンケートに答えて、最後の自由記述欄に上記のような意見を書いておきました。関東における外食チェーンだから、私のような意見が採用される望みはまずないと思いますけど、知人や友人に聞いてみたら外食の味の濃さに辟易している方は結構いるので、他にもそういう声が届いていることを祈ろうと思います。

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ま、あとはお湯を入れたマイボトルを持参するか……ですね。ほんと、外食産業のみなさん、もう少し、ほんのもう少しでいいので、味を薄くしてほしいです。お願い。

留学生のカンニングに対して

留学生の通訳クラスでは、学期の間に何度か「単元テスト(小テスト)」を行います。テストといっても、通訳している音声を録音して仕事に耐えうるレベルかどうかを判定するだけで、しかもその内容は事前に授業で一度訳したものです。実際の現場における通訳という作業が常に「初見」(つまり事前に音声を聴くことができる通訳業務などありえない)であることを考えれば、あまり意味がないような気もしますけど、まあ「それを言っちゃあおしまいよ」なので……。

単元テストはCALL教室で一斉に録音する形で行うのですが、教室に持ち込んでよいのは事前に各自が作成したグロッサリー(用語集)と筆記用具だけです。メモ用紙は別途白紙を配布します。「それ以外は持ち込んではいけませんよ〜」と伝えてあるのですが、少なからぬ留学生がスマホやら資料やらを持ち込もうとします。スマホや資料を持ち込んでも、通訳をしているその場で検索したり資料にあたったりする時間的余裕はないので別に構わないのですが、一応ルールとして伝えてあるにも関わらず、そのルールを守れない方が結構な割合でいるんですよね。

あまつさえ、カンニングをする人もいます。グロッサリーや資料の裏に、あらかじめ課題の訳文を書いておいて、それを読み上げようとするのです。試験中は教師が巡回しているので、そういった「ズル」をすればすぐに発覚するのですが、なぜそういう行為に走るんでしょうねえ。

まあ教師的には、あらかじめ課題の訳文を作る段階でむしろ人よりも勉強していると考えることもできるので、これも別に構わないと言えば構わないのですが、一応通訳のテストですからね。その場で、音声を聴いて、メモを取って、グロッサリーを頼りに訳出をする、その臨機応変なスキルを鍛えようとしているのに、なぜかこうやって「その場しのぎ」の姑息な手段に走る人がいるのです。

でもこれ、よく考えると回り回って自分自身の損になりますよね。だってそうやって「その場しのぎ」で逃げ回っていたら、いつまでたっても現場で通用する通訳のスキルなど身につかないじゃないですか。かつて通訳学校に通っていたときも、クラスメートの中には訳文をバッチリ作り上げてきて、訓練時にはそれを音読しているだけといった方がいましたが、私には不可解極まりない行為でした。一体何のために通訳学校へ通っているのか、と。

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https://www.irasutoya.com/2014/08/blog-post_282.html

今回は中国語母語の留学生三人ほどが、こっそりと訳文を見ながら訳していました。私は試験が終わったあとでそれを指摘して、「そんなことをしても、ちっとも自分のためにならないですよ。希望大家不要得過且過(その場しのぎ的なやり方はやめませんか)」と伝えました。

まあここは義務教育の現場じゃないので、カンニングするもしないも本人の考え方次第です。ただし、カンニングをすればその人の株は大暴落して、われわれ教職員の信用を失います。実際、カンニングの事実が教員室に伝わると「えっ、○○さんって、そういう人だったの?」と驚く先生方も多いのです。というわけで、「そうやって失った信用を取り戻すのは、みなさんが考えているよりも大変なことですよ。特に今後日本社会で働こうとか、日本人と協働しようと考えている方は、よくよく信用の大切さを考えてみてくださいね」とも伝えました。

まあ信用が大切なのは、別に日本社会に限った話じゃないですけどね。せっかく高いお金と時間をかけて日本に留学しているというのに、もったいない話です。もっとも、そういう不合理で刹那的な生き方をしちゃうのも若い方々ならではの特権かもしれません。ともあれ、次の単元テストが楽しみです。懲りずにまたカンニングをする留学生が出るでしょうか。それともみんな自分が日本に留学しようと思った「初志」を思い出して、実力で臨もうとするでしょうか。

「いいね」をしない+表示させない

カル・ニューポート氏の『デジタル・ミニマリスト』を読んで、すぐに実践してみたスマホによる「ながら」をやめること。これはほぼ完全に習慣づけることができました。「ほぼ」というのは、時折夕飯の献立の参考にするためにChromeで検索することがあるからですが、それ以外の「ながら」、つまりSNSや動画サイトやゲーム(これは元からやってませんが)などは一切使わなくなりました。

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デジタル・ミニマリスト: 本当に大切なことに集中する

qianchong.hatenablog.com
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もうひとつ、この本を読んだあとにやめたのは、「いいね」(あるいはその類い)をしない+表示させない、ということです。詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、「いいね」という機能は人の時間を激しく奪い、自己承認欲求を著しく亢進させるなんとも罪深い存在だと思います。

とりわけ「いいね」関係の通知が問題で、それは通知があるたびに、それを確認しに行きたくなってしまうからです。確認しに行ったら最後、そこを起点として次々に「注意経済」の誘惑に負けて時間を費やしてしまうことになり、また自己承認欲求を満たされてわけもなく興奮したり、逆に満たされずにがっかりしたり。いずれにしても心乱されることが多すぎるのです。

もちろん大事な通知機能もありますから、そこは吟味が必要ですが、例えばSNSの「いいねされました」系の通知、アクセスカウンターみたいなものは、スマホだけでなくパソコンのブラウザからも一掃したほうが自分の時間を確保できるのだとわかりました。

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https://www.irasutoya.com/2018/02/sns_12.html

というわけで私は、例えばTwitterの♥とリツイートとリプライは、自分のブログに関するものだけに限定して、それ以外はやめました。要するに自分から何かをつぶやくことをやめたのです。Chrome拡張機能に入れていた「はてなブログ」の通知も削除しました。そして、SNSやブログは、時間を決めてその時間にだけチェックするようにするのです。一日に一回とか週末だけとか。

同時にSNSで「いいね」をしたり、「はてなブログ」のスターをつけたりするのもやめました。Twitterの♥は、備忘録的な意味合いもあって使っていたのですが、そもそもTwitterをほとんど使わなくなった(タイムラインを眺めた途端、次々に注意喚起されて時間があっという間になくなる)ので、これもやめました。ブログを更新して、誰かにスターをつけてもらうととても嬉しいのですが、それをチェックして一喜一憂するのもやめました。

「いいね」や♥やリツイートやスターは誰かとつながるツールでもあるので、その意味ではその「つながり」を自分から断つことになるわけです。これは自ら「不義理」を働くような気持ちになるのでちょっとした勇気が要りますが、やめてしまえば何でもありません。貴重な情報(それも無償で提供されている)に心から感謝しつつも、会ったこともないどなたかと繋がり続けることに過重な意味付けをしない、と決心するのです。

そして……自分の時間を取り戻し、自分の身の回りにいる人々(特に家族)との繋がりを取り戻すのです。

フィンランド語 48 …格変化の練習・その2

格変化の練習の続きです。「その1」で単語の語幹を求められるようになったので、それをもとにそれぞれの格に変化させていきます。格は、これまで習ったものだけでも単数12個・複数12個の、合計24個もあるのですが、そのうちの多くは機械的に作ることができます。例えば「kirkko(教会)」を例に取ると……

●kirkko(教会)
kptの変化:kk → k で「kirko」。

単数主格(辞書形) kirkko 複数主格 kirkot
単数属格(〜の) kirkon 複数属格
単数対格(〜を) kirkon 複数対格 kirkot
単数分格(〜を) 複数分格
単数内格(〜の中で) kirkossa 複数内格
単数出格(〜の中から) kirkosta 複数出格
単数入格(〜の中へ) 複数入格
単数所格(〜の表面で) kirkolla 複数所格
単数離格(〜の表面から) kirkolta 複数離格
単数向格(〜の表面へ) kirkolle 複数向格
単数変格(〜になる) kirkoksi 複数変格
単数様格(〜として) 複数様格

※他にも「具格」「共格」「欠格」がありますが、未習なので割愛します。

上記の表で、★以外の部分はいずれも「kirko」という語幹にそれぞれの格語尾がついていて、いっぺんに作れてしまいます。単数属格と単数対格、複数主格と複数対格は、それぞれ同じ形なんですね。

で、問題は★の部分ですが、まずは単数の復習から。単数分格、単数入格、単数様格は「kptの変化」をさせません(逆転はあり)。つまり「kirkko」だったら語幹はそのまま「kirkko」になるわけです。その上で……

■単数分格
語幹の最後が短母音 → Aを足す。
語幹の最後が長母音・二重母音 → tAを足す。
語幹の最後が母音+le,ne,re,se,te → eを消してtAを足す。

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※例外がいくつかあって、例えば「lohi(鮭)」は「lohta」、「lapsi(子供)」は「lasta」など。また単語の最後(語幹の最後ではない)が e で終わるものは短母音ならそのまま ttA を、長母音ならそのまま tA をつけます(huone → huonetta / tee → teeta)。また子音で終わる単語のうち、nen , uus , yys や 派生語に形容詞がある us , ys , os 以外はそのまま tA をつけます(kaunis → kaunista)。

■単数入格
語幹の最後が短母音 → 母音をのばして n を足す。
一音節で語幹の最後が長母音・二重母音 → h を足し、語幹の最後の母音を足し、n を足す。
複数音節で語幹の最後が長母音 → seen を足す。

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■単数様格
語幹に na を足す。

これで、単数形と複数形の一部について表が埋まりました。

単数主格(辞書形) kirkko 複数主格 kirkot
単数属格(〜の) kirkon 複数属格
単数対格(〜を) kirkon 複数対格 kirkot
単数分格(〜を) kirkkoa 複数分格
単数内格(〜の中で) kirkossa 複数内格
単数出格(〜の中から) kirkosta 複数出格
単数入格(〜の中へ) kirkkoon 複数入格
単数所格(〜の表面で) kirkolla 複数所格
単数離格(〜の表面から) kirkolta 複数離格
単数向格(〜の表面へ) kirkolle 複数向格
単数変格(〜になる) kirkoksi 複数変格
単数様格(〜として) kirkkona 複数様格

格変化の練習は、まだまだ続きます。

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Minä olin mennyt tähän pieneen kirkkoon.

いとしの水蓮菜

仕事帰りにいつものスーパーへ立ち寄ったら、台湾の水蓮菜が売られていてびっくりしました。水蓮菜は細長い緑色の茎だけが5、60センチから1メートルほどにもなる珍しい野菜で、台湾に住んでいた頃は、そのシャキシャキとした独特の食感が大好きで、三日とあけず食べていました。日本で売られているのを見たのはこれが初めてです。

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台湾では、スーパーや市場などで売られているほか、屋台などでも炒め物の具材とか“滷味”の素材として、長い茎をぐるぐる巻きにした形でよく見かけるのですが、それと同じ形で野菜売り場に並んでいたので、思わず「おおおおっ!」と声を上げてしまいました。それほど好きな野菜なのです。

この野菜はシンプルな炒め物にするのが一番おいしいので、ちょうどスーパーで安かったアサリと一緒に炒めてみました。最初に水蓮菜だけさっと火を通したうえで湯通ししてザルに上げておき、次にアサリをにんにくを効かせた酒蒸しのように炒め、最後に水蓮菜と合わせました。予熱を見越して少し早めに火を止めましたが、果たして抜群の歯ざわりでこの上なくおいしい炒め物になりました。

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この水蓮菜、蓮根のように池みたいな場所でないと栽培できないそうです。だから日本でもそう簡単に作るというわけにはいかないのかな? でももし日本でも栽培できてもっとたくさん出回るようになったら、きっと大人気になると思います。食感や味わい的には豆苗に似ていますが、豆苗よりも数段上のおいしさです。私は東急ストアのOisix売り場で買いました。お近くに東急ストアがある方は、ぜひ。

フィンランド語 47 …格変化の練習・その1

以前、動詞の活用(時制の変化)についてワークシートを作りまして、その練習は今でも継続しているのですが、フィンランド語はこれ以外にも名詞、代名詞、形容詞などが格変化を起こします。というわけで、その練習が加わりました。

格変化について

フィンランド語は日本語と同じ「膠着語」に属する言語で、例えば「猫」という単語があったら、「猫が」「猫の」「猫に」「猫から」「猫へ」みたいに変化するのですが、これを日本語のように「てにをは」などの助詞を使うのではなく、単語自体がその格を表すように変化するのです。

●kissa(猫)

単数主格(辞書形) kissa 複数主格 kissat
単数属格(〜の) kissan 複数属格 kissojen
単数対格(〜を) kissan 複数対格 kissat
単数分格(〜を) kissaa 複数分格 kissoja
単数内格(〜の中で) kissassa 複数内格 kissoissa
単数出格(〜の中から) kissasta 複数出格 kissoista
単数入格(〜の中へ) kissaan 複数入格 kissoihin
単数所格(〜の表面で) kissalla 複数所格 kissoilla
単数離格(〜の表面から) kissalta 複数離格 kissoilta
単数向格(〜の表面へ) kissalle 複数向格 kissoille
単数変格(〜になる) kissaksi 複数変格 kissoiksi
単数様格(〜として) kissana 複数様格 kissoina

※他にも「具格」「共格」「欠格」がありますが、未習なので割愛します。

語幹を求める

この格変化ができるようになるためには、一部の例外を除いてまず語幹を求める必要があります。辞書形でそのまま語幹になるものもありますが、語幹が辞書形から変化するものもあります。語幹が変化するのは、単語の最後が「i / e / 子」の時だけです。「ie子」を私は「いえこ」と読んじゃっていますが、要するに単語の最後が「i」と「e」と「いくつかの子音」で終わる場合に語幹が変化し、それ以外はそのまま格語尾をつけて構わないということです。上述の「kissa(猫)」は単語の最後が「a」ですから、語幹はそのまま「kissa」です。

さらに必要なものは「kptの変化」が起こります。「kissa」は該当しませんが、例えば「kukka(花)」だったら「kk→k」という変化が起きます。しかも格によってはこの「kptの変化」がないものもあってややこしいです。

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先生からはプリントが配られて、この「ie子」が語尾にある単語の語幹の求め方と、「kptの変化」パターンは覚えちゃってくださいと指示がありました。覚えたらその部分は黒塗りにして、いちいち参照しなくてもすぐに作れるようにと。ううむ、なかなか厳しいです。このプリントは先生のオリジナルですからここにそのまま載せるわけにはいきませんが、例えば「i」だったら、「外来語とフィンランド語と特殊に分かれて、外来語は不変化、フィンランド語は i が e 、特殊は veli が velje ……」のようにつぶやいて覚えるのです。

語幹の変化表をよく見ると「例外」や「複数」で「s」が「kse」になるものが多いです。この変化はフィンランド母語話者の中ではとてもポピュラーなのかもしれません。

それにしても、前にも書きましたが、母語話者はこうした変化をほとんど無意識のうちにできてしまうのがすごいですね。まあ日本語でも私たちは「一本(ippon)、二本(nihon)、三本(sanbon)」のような変化を無意識にできてしまいますが、これは非日本語母語話者からすると驚愕の変化です。もっとも、こうした変化は「より苦労せず言いやすい形に」という一種の言葉の経済性に則っているわけで、そこがとても人間らしいなと思います。

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Ilma muuttuu lämpimäksi.