インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

Simon Stålenhag 氏の世界にひかれる

スウェーデンの画家で Simon Stålenhag という方がいます。私はずいぶん前にネットでこの方の絵を見かけて、その独特の世界観に引き込まれてしまい、画集こそ持っていないのですが、ちょくちょく氏のウェブサイトに行ってはその作品の数々を眺めています。

www.simonstalenhag.se

なんでしょうね、この近未来SFのディストピア感あふれる荒涼とした風景。ただならぬことが起こっていそうな雰囲気。それでいて、そこはかとなく漂うユーモアと、郷愁にも似たほのかな温かさも感じるのです。まるで『男はつらいよ』シリーズの映画で、寅さんが夜汽車に揺られながら「あそこにも電灯がともっている。そこにも人の暮らしがあるんだなあ……」とつぶやくような感じ。

また一面では、ちょっとレトロなパソコンやOA機器が持っていたようなガジェット感もありますし、大友克洋氏の『アキラ』を彷彿とさせるメカニカルなものと気味の悪い「ぬめぬめ」が融合したような雰囲気もあります。暗闇や陰影はとことん暗く、逆に明るい風景は隙間がないほどフラットに光が当たり、北欧の冬を想起させる鈍重な雲や雪原や枯れ野原が広がっていて……。

写真と見まごうばかりの細密描写に見えますが、よくよく細部を観察してみると、かなりラフなタッチで描かれていることが分かります。このあたり、フェルメールの描き方にも通じるものがあるように思います。

遠景には賑やかな都会(ネオンサインの表現が特にすばらしい)が描かれる場合でも、手前は荒涼とした風景が広がっているというその「賑やかなものを遠くから眺める」感覚も、個人的には大好きなテイストです。海外を旅行するときも、バイクや車を借りてこういう場所に行くのが好きになりました。観光地や歴史的建造物やごちゃごちゃとした繁華街は人が多すぎて酔ってしまうのです。

きっとスウェーデンの田舎に行けば、こうした風景があちこちに見つかるのでしょう。いつかこんな風景を探してふらふらと旅をしてみたいと思います。

……と、ネットで Simon Stålenhag 氏を検索していたら、氏の画集『The Electric State』の日本語版が発売されたとの情報が。翻訳は山形浩生氏。おおお、さっそくAmazonで購入してしまいました。さらには別の画集『Tales From The Loop』を元にした映画も、近く撮影が開始されるとのこと。これはとても楽しみです。日本でも公開されるといいですね。

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エレクトリック・ステイト THE ELECTRIC STATE

eiga.com

鯖サンド

いつもランチ用のサンドイッチを買っているパン屋さんで、おもしろい「鯖サンド」を見つけました。鯖のフレークに紫蘇と水菜と「柴漬け」が入っているのです。この柴漬けが鯖によく合って、とてもおいしいサンドイッチでした。

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これはいいなあ、ということで、さっそく自宅でも真似して作ってみました。水煮缶の鯖(最近は無塩のものがあって、これが一番中高年に優しい味です)を粗くほぐしてマヨネーズで和えて、柴漬けと、たまたま買ったスプラウト。ちょっとスプラウトが多すぎですが。

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鯖サンドは静かなブームが続いているようで(というか自分の中でブームなんですけど)、昨日は仕事の帰りがけに「鯖の竜田揚げの鯖サンド」を見つけて、思わず買ってしまいました。これもなかなかおいしいですが、やっぱり市販の惣菜パンはちょっと味が濃すぎですね。このサンドイッチも、甘辛のタレが強すぎて鯖の風味が隠れてしまっていました。

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やはりサンドイッチは自作するのが吉です。これまでにもいろいろと鯖サンドを作ってきたのですが、なかなかいいなあと思ったのは王子サーモンさんが作っている「鯖燻(さばくん)」を挟んだ鯖サンドです。この鯖の燻製、とてもおいしいんですけど、現在は品切れ中みたい。販売再開を期待しています(成城石井ではまだ売ってるみたい)。

shop.oji-salmon.co.jp

あと、まだ作っていないけど試してみたいのが、沼津の「かねはち」さんが作っている「オイルサバディン」を使った鯖サンドです。

oilsabadines.com

私的な鯖サンドブーム、もう少し続きそうです。

そばですよ

昔から「立ち食いそば」ファンです。駅のホームや駅周辺にあるお店で、特に寒い冬の朝など、出勤途中に食べるのが大好きでした。「でした」というのは、最近はあまり食べなくなってしまったからで、それは仕事のサイクルと場所、それに住んでいる場所の関係で、その行動範囲内にあまり「よろしき」立ち食いそば屋さんがないからです。

大手のチェーン店ならけっこうあるんですが、やはりごめんなさい、何度も通いたくなるような味ではなくて……。それに若い頃のようにとにかく炭水化物でど〜んとお腹を満たす、というような食事ができなくなったというのも大きいと思います。あああ、なんだか寂しいなあと思っていたところに、この本に出会いました。エッセイストの平松洋子氏が『本の雑誌』に連載中の、東京の立ち食いそば(立ちそば)屋さんレポートをまとめた『そばですよ』です。

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そばですよ (立ちそばの世界)

いやあ、すごい。こう言ってはたいへん失礼ですが、私よりもっと年配の平松氏にして、この旺盛な食欲と食に対する好奇心、それに行動力。この本には典型的な街の老舗的「立ちそば」屋さんから、ニューウェーブとおぼしき変わり種まで、様々なお店に取材し食べ歩いた記録が載せられています。「人に歴史あり」的なインタビューもあれば、著名人とのそば談義コラボもあります。単にそばの味についてあれこれ形容し評価する「グルメ本」ではなく(その側面ももちろんありますが)、それぞれのお店から見えてくる各店各様のドラマがとても味わい深いのです。

この本に出てくるいくつかのお店は行ったことがありましたが、そのほかにもしょっちゅう近くを通っているのに知らなかった「名店」があちこちに。立ちそばのお店は、それこそグルメよろしくわざわざ電車やバスを乗り継いで食べに行くというより、やはり生活の範囲内にあって、日常の一部として利用するのが「らしい」ありかたですよね。ご近所にお住まいの方が羨ましい。これらのお店をグーグルマップの「行きたい場所」のリストに保存しておいて、なにかの用事で近くを訪れた際に行けるようにしておきたい……と思いました。

しかし、こうやって一冊の本にまとまるほど奥が深い「立ちそば」の世界ですが、日頃つきあいのある在日華人のみなさんは、たとえ来日歴が相当長い方であっても、「立ちそばに行ったことがない」という方が多いんですよね。以前にも書きましたが、一般的に華人は、立ち食い、それも箸や腕など食器を使う立ち食いはしない・できないという方が多いです(もちろん例外はおられます)。

ハンバーガーや焼き芋みたいな「ファストフード」や、串に刺さった屋台の食べ物、飲み物類なんかはまあ立っていてもオーケーみたいなのですが、箸やお椀を手にしたとたん、どうしても椅子に座りたくなるらしい。で、万やむを得ず周囲に椅子がない場合は、仕方がないからその場に「しゃがむ」。どうして食器を使うと座りたくなるのか、これまでにかなりの数の華人に聞いてきたんですが、あまりはっきりとした理由は聞けていません。単に行儀が悪いからという方もいれば、立ち食いは消化に悪いという人もいました。

qianchong.hatenablog.com

華人がなぜ「立ち食い」が苦手なのか、その理由を調べたり研究したりしている方はいないのかしら。もし「先行研究」みたいなのがあったら、ぜひ教えていただきたいと思います。

容姿に干渉する校則はいらないんじゃないか

先日トレーニングに行った際、インターバルの時間にトレーナーさんから興味深いお話を聞きました。

トレーナーさんのごきょうだいは中学校の先生だそうですが、この学校は校則がものすごく厳しいのだそうです。制服はもちろん、髪型にも厳格な規定があり、女子の長髪は左右のお下げにするか後ろで三つ編みの二択のみ、男子も耳が隠れない程度に短くする……などを徹底しているとか。

でもそうやって「没個性」を徹底的にすすめて行った結果、一人一人の見分けがつきにくくなり、特に新入生がどっと増えるこの時期は、新しく担当するクラスの生徒の名前をなかなか覚えられなくて困っているというお話でした。なるほど、もとより制服で同じような格好をしているところに加えて、髪型も統一されちゃったら、特徴が極端に減って覚えにくいですよね。

いや、これ、その苦労がよく分かります。私も学校で毎年新しく入ってくる留学生のみなさんを迎える際、名前と顔を一致させるのがとっても苦手だからです。私は本当に失礼で非情な人間なんだと思いますが、留学生に限らずとにかく人のお名前を覚えるのがすごく不得手なのです。留学生は国も地域も様々で、もちろん制服なんてありませんからそれぞれとても個性的で、名前を覚えるという点では一番「タスクの軽い」部類に入るでしょう。それでもこの体たらくなんですから、もし私がくだんの中学校で担任でもやることになったら、完全にお手上げだと思います。

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https://www.irasutoya.com/2018/07/blog-post_701.html

しかし何ですね、2019年の現在になっても、制服をはじめ、頭髪まで「没個性」を強要する教育がここまで頑迷に行われているんですね。いい加減こんなことはやめるべきだと思います。没個性のたがを外してしまったら非行に走るなどといった反対論も根深いのでしょうけど、こちらにもあるように非行に走る若者は激減しており、非行を防ぐという制服の意義も失われつつあるのです。

私服や自由な髪型を認めたらファッション競争になり、家計の負担が増えるとか華美に走りすぎてしまうなどの意見もあるようですが、そうかなあ。きょうび「ユニクロ」や「GU」や「しまむら」みたいなお店はどこにでもありますし、いっとき華美に走っても私服での登校が日常に溶け込んでいけば、それなりに落ち着いてくるのではないでしょうか。もちろん華美なまま突っ走る人がいてもいいですし、それもまたどこかの首相が「一人ひとりが明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる」学校や社会のありようでいいんじゃないですか。

人間が現代社会の中で真っ裸で生きることができない以上、服装は好き嫌いにかかわらず自分で考えて選んでいかなければならないものです。「食育」という言葉があるのと同様に「服育」もあるべきでしょう。自分では「格好いい」と思って選んで着たものの「イタい格好」だったとか、思ったよりも地味だったとか派手だったとか、あの人には合うけど自分には合わないとか……そんなこんなの一切もまた成長過程で学ぶべきスキルだと思います。髪型もしかり。

実は私もいま春の始業期を迎えて、職場では留学生に対する「諸注意事項」なんかを説明する役目を仰せつかっています。うちの学校にもいろいろと校則みたいなものがあるんですけど、正直そういうのを説明して徹底させる……というお仕事は気が重いです。そんなの自己責任でいいじゃんと(やっぱり非情なんです、私)。

ともあれ、始業時間を守るとか、試験でカンニングをしないとか、そういう校則はまだしも、こと個人の容姿に関してはいらないんじゃないか、いやそこには干渉してはいけないんじゃないかと思います。

ゴールデンタイムへの進出を期待しています

十年以上読み続けている、よしながふみ氏のマンガ『きのう何食べた?』。主人公が自分と同年代で、実際の時間の流れと同じ速度で歳を取っていくこと、中年期に「あるある」な自分の身体の変化や親との関係、働きながら家事も担当する(当たり前ですけど)男性……などなどの点でいろいろ共感するところが多いこの作品がテレビドラマ化され、録画しておいた第一話を見ました。

www.tv-tokyo.co.jp

私はもともとテレビドラマにはあまり食指が動かない人間で、大河ドラマ連続テレビ小説もゴールデンタイムの大型ドラマも海外の人気シリーズもほとんど見ません(仕事の予習で台湾ドラマを見るのだけは別ですけど)。そんな「見る目」のない私が言うのもおこがましいですが、『きのう何食べた?』の第一話を見て、ああやっぱりドラマになると全然違うんだなと思いました。

でもまあそれは仕方がないですよね。あらゆるドラマタイズはそういうもので、原作マンガとテレビドラマ、あるいは映画や舞台などとは分けて考える、あるいは別々の物としてどちらも楽しむ、というのが正しい姿勢なのでしょう。とはいえ今回の第一話、マンガに出てきたあれこれのシーンを上手くつなげて、原作にかなり忠実に作られていたように思いました。筧史郎と矢吹賢二、二人の主人公の造形はイメージ通りでしたし、法律事務所の「大先生」もさることながら、チャンカワイ氏の「若先生」はマンガそのままという感じ。次回以降は「佳代子さん」や「小日向さん」や「ジルベール」も登場するみたいで楽しみです。

西島秀俊氏演じる筧史郎の話しぶりは、自分がマンガから受けていたイメージよりもかなり「乱暴」な感じがしました。まあこれは、ファンの方には申し訳ないけれど、西島氏ご自身の演技力の問題だと思います。正直に申し上げて、演技は上手ではないですよね、この方。一生懸命セリフを言っている感が前面に出すぎていて。その点、矢吹賢二を演じた内野聖陽氏の演技の方がまだリアリティがあるかな、と思いました。

ま、この手の感想は極私的な独りよがりですからこれくらいにしておいて、私はこのドラマが深夜零時過ぎの枠で放映された点が興味深いと思いました。人気マンガのドラマタイズではありますが、主人公の二人はゲイということで、やはりまだゴールデンタイムとかメインストリームに載って放映されるというところまでは行かないんだな、これがいまの限界なのかなと。

もちろん、こうした作品がドラマになること自体がかつてなら想像もできなかったでしょうから、ずいぶん世の中が変わってきたような気もしますし、今後ますます多様な価値観が社会に浸透して広がっていく、その未来は楽観視しています。昨年は田亀源五郎氏原作の『弟の夫』もNHKプレミアムでドラマ化され好評を博しましたし、『おっさんずラブ』というドラマもヒットしましたよね。いまのところLGBTの「G」が突出している感じですが、今後も様々な作品が登場してくることでしょう。

LGBTのみならず、選択的夫婦別姓や、外国人労働者あるいは移民など、様々な人々の様々な生き方を肯定し、当たり前に存在しているものとして描くドラマ作品が、深夜枠ではなくゴールデンタイムなどに出てくるといいなと思います。例えば大河ドラマ連続テレビ小説などでこういう主題が取り上げられるようになったら、それもプロテストや問題提起じゃなくてごく普通の人間のありようとして描かれ、鑑賞されるようになったら(言うは易く行うは難しですが)素敵だなと思います。

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https://www.irasutoya.com/2017/10/blog-post_30.html

専門家に教わる

不定愁訴、それに夜も寝られないくらいの肩こりと腰痛の改善を目指しパーソナルトレーニングに通い出して一年半ほど。この間の「収穫」は大きいものでした。不定愁訴(男性版更年期障害?)はほぼ雲散霧消しましたし、肩こりもほとんどなくなり、腰痛は……これは時々襲ってきますけど、そのたびに重点的に改善のための運動を指導してもらって、ひどい状態に陥ることはなくなりました。

先日もずっとデスクワークをしていて腰が「しくしく」言い出したので、退勤後にジムへ行き、トレーナーさんにお願いして腰痛改善の運動だけ重点的に指導してもらいました。おかげでずいぶん楽になりましたが、改めて感じたのはやはり「自己流ではなく、プロにきちんと指導してもらうことの大切さ」でした。

パーソナルトレーニングでは体幹レーニングと筋トレを中心に行っているのですが、そのいずれの運動をする場合にも、トレーナーさんから姿勢や呼吸やマインドセットなどについて細かく指導が入ります。自己流に流れず、最大限効果が上がるように常に修正が求められるわけです。身体の部位に手を当てて「ここに意識を向けて」といった注意もひんぱんに行われます。

実はこの春からもう一つ別のジムに通い出して、パーソナルトレーニングで教わったことを復習しながら一人でトレーニングしているのですが、やはりトレーナーさんがいないとかなり心許ない。その動作が鍛えようとしている筋肉にきちんと効いているのか、かえって身体を痛めるような動きになっていないか、力の入れ方や呼吸の仕方やペース配分はどうか……それらが自己流に陥っていないかどうか、確認できないからです。

身体の使い方については専門家と言ってもいいプロのアスリートが、なぜわざわざトレーナーを雇って訓練や調整を行うのか、改めてよく分かりました。自分では気づかない欠点を指摘してもらい、自己流に陥って「故障」をまねくのを防ぐためでもあるんですね。プロのアスリートでさえそうなんですから、素人の私たちならなおさらです。

そう思って、新しく通い始めたジムで周りを見回してみると、自己流でマシンを使っているとおぼしき方が大勢いらっしゃいます。大きなお世話ですが、かなり危なっかしい(身体を痛めそうな)使い方をされている方もちらほら。私もずっと以前に二年ほどスポーツジムに通っていたことがありますが、そのときは全くの自己流で一度もパーソナルトレーニングを受けなかったので、全くといっていいほど体調は変わらず、筋肉もつきませんでした(それでも何も運動しないよりはましですけど)。

餅は餅屋、蛇の道は蛇、芸は道によって賢し。その道の専門家に教わるというのは大切なことだと思いました。語学も、特に発音など初級段階については、できればきちんと専門の先生について訓練したい。中国語も、発音の比重が他の言語に比べて非常に高い(ブロークンだとかなり通じにくい)言語であるため、最初はプロについて発音を訓練しないと、なかなか使える語学にならないとよく言われます。

語学、特にその発音は一種の身体能力で、のどや舌や唇などをこれまで母語で馴染んできた方法とは違った形で動かす一連の体系です。そう考えれば、語学も、そしてトレーニングも、きちんとプロについてもらって教わるのが吉ということになりそうです(プロにも善し悪しがあるというのが悩ましいところですが)。

新しくジムに通い始めた分、パーソナルトレーニングの費用を少しは節約できるかしらと算盤をはじいていたのですが、どうもそれは考えが甘かったようです。これからも同じようにパーソナルトレーニングに通い続けることになると思います。

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https://www.irasutoya.com/2015/12/blog-post_89.html

粉もん好きにうれしいハーブパイ

最近は野菜と蛋白質を多くとって糖質を控えめにしようとしているのですが、生来の「粉もん好き」なので「糖質制限」とまでは行きません(し、そこまでする気も実はない)。それでも若い頃のように山盛りチャーハンや特盛りつけ麺をほとんど飲み物のようにお腹に収めるのはやらなくなりました(というか、できない)。

そんな私にうれしい料理を、MariChanさんのブログ『MARICAFE』で教えていただきました。『Jerusalem』という料理本に載っているというイスラエル料理の「ハーブパイ」です。

www.maricafejp.com

詳しくはリンク先の記事をご覧いただきたいのですが、パイといっても生地に「パートフィロ」を使うので油脂分が少なく、フィリングもハーブのほかはリコッタチーズくらいで、中高年に優しい仕様。これはぜひ作ってみようと思いました。

ところでパートフィロをはじめ、「スイスチャード、セロリ、ルッコラ、パセリ、ミントにディル」など様々なハーブをどこで手に入れるんだということですけど、東京はこういう時に便利です。時折買い出しに行く「日進ワールドデリカテッセン」でみんな揃いました(まあネットの通販でも買えますが)。

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www.nissin-world-delicatessen.jp

ちなみにこのスーパー、いかにも在日外国人向けの品揃えなんですけど、野菜類はかなりお安いです。特にハーブ類は巨大なパックで売られているものもあって、なるほどお国や地域によってはこういう感じでハーブをバッサバッサ使うんだなあというのが想像できて楽しい。数年前から流行のグラスフェットビーフもいろいろ売ってます。

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Marichanさんのブログには手順だけで分量やオーブンの温度などは書かれていなかったのですが、そこはまあ他のオーブン料理からの類推で適当に。ヘルシーさが特徴のイスラエル料理だそうですが、ちょっと浮気してピザ用チーズも少々入れてしまいました。

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いやこれ、本当に軽い仕上がりのパイでおいしいです。野菜がたっぷり食べられるし、粉もん好きの嗜好も満足させてくれるし。その後にわかに「粉もん」づいてしまい、ここ十日ほどで餃子や焼売やピザなんかを立て続けに作ってしまいました。

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小麦粉の料理ってやっぱりいいなあ。昨今は「グルテンフリー」を実践されている方もいますが、私は以前に二週間ほど厳格なグルテンフリーを試してみて、体調にまったく変化がなかったので、自分にはあまり影響はないかなと思っています。

出勤前に「ととのう」

いまの職場に定期的に勤めるようになって数年、職場から歩いて五分ほどのところにスポーツジムがあることに気がつきました。今頃気づくというのも迂闊なことですが、いつも利用している地下鉄の出口とは別の出口近くにあって気づかなかったのです。いかに判で押したような通勤を繰り返しているかってことですね。

ウェブサイトで調べてみると、早朝の数時間だけ利用できる「モーニング会員」というのがあって、平日しか利用できないかわりに月額5000円弱というお値段設定。パーソナルトレーニングよりもずいぶんお得です(当たり前ですけど)。しかもジムもプールもスタジオも利用できて、その上スパ(要するに銭湯みたいなもの)まであるのです。

私は通勤電車の混雑がとても苦手なので、毎朝一時間半から二時間近く「早出」して自分の勉強に充ててきたんですけど、その「朝活」時間をジムに使ってみようかなと考えました。なにせ「健康であるためには運動をしなければなら」ず、「健康でなければ死ぬ」お年頃ですから。それで先日から通い始めたのですが、びっくりしたのは朝七時から本当に大勢の方が運動していることです。けっこうガラガラなんじゃないかと想像していたんですが、みなさん隙間時間をとことん活用してらっしゃるんですね。

しかもこのジム、スパにサウナまでついています。このサウナ、タナカカツキ氏の『マンガ サ道』にも「スポーツクラブなのにサウナが良すぎて、まだ一度もジムやプールを使ったことがない」と紹介されていて、そういえば朝一番でスパに向かう方が大勢見られます。水風呂も(あまり冷たくないのが玉に瑕ですが)あって、外気浴もできて、なかなか快適です。

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https://www.irasutoya.com/2018/10/blog-post_562.html

……しかし、出勤前にたっぷり運動してサウナに入って「ととのっちゃった」ら、もう仕事する気が失せますね。このまま帰って寝るか、海でも見に行きたくなります。

苦手な春に

私は春が苦手です。新年度や新学期ということで、何かこう、世の中全体が浮き立つような感じになっている、その「わさわさ」した感じに心落ち着かなくて。三寒四温で気温が乱高下するため体調を崩しやすいですし、花粉症ではないものの何となく鼻がむずむずします。

心身の健康のために、あんまりネガティブなことは言わない・考えないようにはしているのですが、この「春が苦手」というのは若い頃から変わりません。音楽家の故・武満徹氏はかつて「春は何か心が疼くようで、嫌いだ」とおっしゃっていたそうですが、その気持ち、よく分かる気がします。

加えて今年は新元号を巡る一連の動きがありました。新しい元号が「令和」(おっと、まだインプットメソッドが一発で変換してくれません)に決まり、マスコミこぞって狂騒に沸いた四月一日から一夜明けて、昨日の東京新聞朝刊は新元号発表後に行われた安倍首相の記者会見について見開きで特報欄を組んでいました。

東京新聞:違和感あり 首相会見 「まるで所信表明」:特報(TOKYO Web)

上記のリンク先は、有料版でなければ全文を読めないのですが、ぜひ図書館などで記事をご覧いただきたいと思います。ジャーナリズムには、特に日本のそれには、こういうスタンスが必要だと強く感じます。

改元改元で寿げばよいと思いますが、だからって山積している問題がガラッポンで清算されるわけではありません。安倍首相の会見(特に記者の質問に対する答え)はまさに「所信表明演説」あるいは「選挙演説」のようで、まるで自らが過去の問題を全部乗り越え、この先の明るい未来を切り開く立役者であるかのように語るその語り口には違和感を覚えました。

恥ずかしながら私は先日初めて「しゃしゃる」という言葉を知りました。「しゃしゃり出る」の短縮形(?)です。そして安倍首相の新元号発表後の記者会見とNHKニュース9に出演されていた安倍首相の言葉を聞いて、その「しゃしゃる」という言葉を反芻していました。時の首相はたまたま改元の際にその任に当たっただけという慎みと歴史への敬意が感じられなかったのです。あれらはまるで自分がこの国の元首であるかのような「しゃしゃ」った振る舞いだったのではないでしょうか。

元号の発表に伴って、テレビのニュースで取材されていた各地の人々の声と表情には明るさがあふれていましたが、私たちはこの春の陽気に浮かれているばかりではいけないと思いました。

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https://www.irasutoya.com/2019/04/blog-post_791.html?m=1

琺瑯の食器に勝手なノスタルジーを感じる

先日、うちの学校を卒業していった中国人留学生から「お世話になりました」と小さな包みが届きました。中に入っていたのは、これ。琺瑯引きの蓋付きマグカップです。毛主席語録(毛沢東語録)を掲げた人々の図案は、かつての文革時に大量に作られたプロパガンダポスターを模したもの。このマグカップは復刻、というか「なんちゃって」的お遊び商品ですが、かつては本当にこういうテイストの食器類が使われていたんですよね。

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二十年ほど前、中国に留学しているときは、休みの日に骨董市などを巡って、こういうテイストの食器やポスター、服や徽章(毛沢東バッヂみたいな)のたぐいを渉猟していました。当時から既に値段が高騰し始めていて、買うことは少なかったですが、それでも何枚かポスターや小物類を買って、それはいまでも大切に取ってあります。

琺瑯の日用雑器類も、最近ではステンレス製が中心……というか、そもそもこういう食器類があまりに古くさいので使わないと言う人も多いでしょうけど、逆に今となっては「レトロ」な感じで面白いですよね。留学しているときはもう少し大きめで浅めの、ちょうど小型のバースデーケーキ(ホール)くらいの形と大きさの琺瑯食器を使っていました。脇に金魚の絵なんかが描いてあったりして。蓋付きで、蓋はお皿の代わりにもなるんです。

これを持って学生食堂へ行き、ご飯とおかずをどんど〜ん! と放り込んでもらって食べていました。懐かしいです。当時でさえこういう琺瑯の食器はすでに「古くさい」感じになりつつあって、中国人学生の友人からは「物好きだね」などと言われていたのですが、私は私なりに勝手なノスタルジーを感じていて、愛用していました。

ほかにも魔法瓶を現役で使っていて、毎朝学生寮の給湯室へお湯を取りに行くのが日課でした。電気ポットじゃなくて魔法瓶なので、お湯はどんどん冷めて行っちゃうんですけど、そんなときは魔法瓶の蓋のコルクに電熱ヒーターの棒がくっついたような「再加熱機」を使ってお湯を温め直していました。後年これは火事の原因になるとか何とかで使用禁止になったと聞いていますが、ああいうのも含めて牧歌的でした(これもまた勝手なノスタルジー)。魔法瓶の「中身」は銀色に光るガラス製で、ちょっと衝撃で割れちゃうことがあったのですが、街の雑貨屋さんにはその「中身」だけ売っている場所もありましたね……。

そんなこんなの思い出を授業で話したことがあったのですが、現代の中国人留学生は、あるいは「聞いたことない」ときょとんとしていたり、あるいは「懐かしい! 子どもの頃使ってました!」という人がいたり。でも、それで卒業に際して、記念にわざわざ「淘宝(タオバオ)」で買ってプレゼントして下さったのですね。

ありがとうございます。職場で使わせてもらうと思います。まずは、そうですね……当時を偲んで、この琺瑯マグカップに即席麺を割り入れてお湯かけて食べてみましょうかね。

古本屋さんの新しい試み

日常的によく本を買います。でもどんどん本棚に本が増殖していくので定期的に整理しています。

この時代、電子書籍という選択もあるのですが、何十冊も読んでみて、私の場合はやはり頭の中に残らないことが分かりました。「新しもの好き」としては痛恨の極みですが、電子書籍で本を読むと、読後感が本当に希薄なのです。私の場合、手で実物の付箋を貼ったり、本の重さや厚さを感じたりすることが読書体験と強く結びついているような気がしています。というわけで、増殖速度が速くて非常に場所を取るマンガ以外はすべて紙の本に戻りました。

紙の本は新品を買うこともありますが、Amazonマーケットプレイスや日本の古書店などネットにある古本屋さんもよく利用しています。古本屋さんにもいろいろあって、ときにかなり「非良心的」なお店もありますが、逆にここで買えばまず大丈夫というお店も分かってきました。長野県上田市で運営されている「VALUE BOOKS(バリューブックス)」もその一つです。

このお店で古本を買うと、すぐに簡易な包装で届くのですが、なかに「納品書のウラ書き」という紙が一枚入っています。その名の通り、Amazonマーケットプレイスでは必ずつけることになっている(はず)納品書、そのウラにちょっとしたコラムや本の紹介、お店の近況などが書かれているものです。ニュースレターのようなものといってもいいかもしれません。

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これがとても楽しみで毎回読んでいるのですが、先日はこの「ウラ書き」のほかにもう一枚紙が入っていました。それはVALUE BOOKSが昨年から始めた、新しい買い取りサービスの現状報告でした。この会社は「本を循環させることに一生懸命な会社です」というのがキャッチフレーズなんだそうですが、買い取りサービスで送ってこられてもほとんど商品価値がないものは買い取れない、それでは会社も売り手の私たちも配送業者さんもハッピーになれない……と感じていたそうです。

そこで売り手が事前に買取額を「おためし査定」できて、確実に買い取ってもらえそうなものだけ送ってもらい、その際の送料は有料にするものの、そのぶん買取額をこれまでよりも高く設定する、というサービスに切り替えたのだそうです。結果的にはこのサービスが何とか上手くいきつつあるということで、その状況をやはりニュースレターのような形で報告されているんですね。なるほど。

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www.valuebooks.jp

次に本を売るときは、こちらも利用してみようかなと思います。

追記

私は古本を売るとき、基本的には古本募金をしています。ネットで「古本募金」を検索してみるとたくさん出てきますが、業者に古本を送ると、査定額のうち何割かが募金に回されるというものです。募金額は微々たるものですが、古本を売って儲けるつもりもないので。

この古本募金の一部にも上記のバリューブックスが関わっています。例えばこちらのサイトなどから利用することが可能です。

www.charibon.jp

このしくみも最近の配送料値上げなどの影響を受けて、存続が危ぶまれる事態になったとのことで、送料無料・箱数無制限だった以前の形式から最近改変が行われたようです。紙資源のこと、環境のことなどを考えるとやはり電子書籍に移行していった方がよいのかもしれませんが、私はやはり紙の本で読みたい。となれば、こうしたサービスを上手に使いながら、少しでも社会に還元しつつこれからも本を読んでいきたいです。

再現性と個性

こちらのインタビュー記事、とても興味深く、また共感を持って読みました。能楽喜多流能楽師、高林白牛口二(たかばやしこうじ)氏に取材した記事です。

www.sbbit.jp

再現性について

共感を持ったのは例えば、AIやロボットの技術で優れた技芸を保存したり蘇らせたりしてはどうかという問いに、「能は人間がつくるものであり、二度と同じものができないからこそ意味がある」と答えられている部分。

たしかにAIやロボットを使えば、同じことを何度も再現できるかもしれません。しかし、それは『死んでいる』ということです。演者が人間であり、生きているからこそ変化があります。逆にいえば、演者が人間でいる限り、能の質は上がることもあれば下がることもある。でもだからこそ、明日の能は今日の能より良いかもしれない。それが『生きている』ということです。たとえ名人の芸を再現しても、それが再現である限り、もうそれ以上良くなることはない。死んでいるのです。

これは能楽に限らず、あらゆる営みに通じる精神ではないでしょうか。能楽師の感得された境地に自分を引きつけるのもおこがましいですが、私も例えば授業やセミナーなどで話す際に、たまさか「上手にできた」と自分で思ったものをもう一度再現しようとすると必ずといっていいほど失敗します。手元にメモや原稿のようなものを置いたり、パワポのプレゼンモードで「このスライドの時に言うべきこと」みたいなメモを準備すればするほど、話す内容が「死んでいる」んですよね。

それよりも、入念に準備や練習をすることは当然としても、本番では思い切ってフリーハンドでしゃべった方が上手くいく……どころか、自分でも思いがけなかったようなことを話したり気づいたりして、それこそ「望外」の収穫があることが多いのです(失敗もままありますが)。

個性について

伝統芸能である能楽について、「前の時代から伝えられたものをできる限りそのまま次世代に伝える」ことが最も大切であるなら、現代に生きる自分が能を演じることにどんな意味があるのかと問われて高林氏は、人間、その人自身は絶えず変化しているので「同じものを引き継ごうとしても、変化は必ず芸に現れ」るとし、こう答えています。

この『止めようとしてもどうしても発生してしまう変化』が『現代に必要な変化』の上限です。それ以上の目に見える変化を追い求めず、あくまでも『前向きに現状維持すること』こそが伝統を守るということであり、今、現代人が能を演じる意味なのです。

これもたぶん、およそ技芸全般(芸術のみならず、どんな仕事の技術であっても)に通じるお話だと思います。ある技芸における「個性」とは、同じことを繰り返し繰り返し練習して完璧にできるようになったその先に、どうしてもやむなくはみ出してしまうようなものであって、初手から「個性的」にやってやろうとしているうちは非常に薄っぺらいものしかできない……というのに通じるお話だと思います。

美大に通っていたとき、古典の研究が何よりも大切だと聞かされていながら、そんな古くさいものに拘泥して何になるんだ、自由な精神による個性の発露こそが新しい芸術をつくるんだ! ……みたいに考えていた自分がいま猛烈に恥ずかしいです。どんな学術分野だってまずは先行研究の徹底的なリサーチから始まりますよね。歴史に立脚しない学問はありえない。それは芸術だって同じです。

ネットで検索していたら、高林氏への別のインタビュー記事も見つけました。かなり長い記事ですが、こちらも伝統について、技芸について、個性について、示唆に富む発言が満載。必見です。

www.nanakonakajima.com

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ドキュメンタリーの理想的な形

NHK Eテレで放映されたドキュメンタリー「輪廻の少年」。チベット仏教で高僧の生まれ変わりとされる「リンポチェ」の少年が、インドのラダックからチベットを目指す旅を追ったものです。昨晩偶然に見たのですが、最初からその内容と映像美に引き込まれました。

www4.nhk.or.jp

音楽もナレーションも最小限で、そのナレーションも主人公の少年と、世話役のおじさん二人のモノローグがほんの少し入るだけ。全体に静謐な雰囲気が漂います。少年の成長に合わせて数年間かけて撮影されたもののようですが、まるで劇映画と見まごうばかりの洗練された映像と編集に驚きました。

様々なシーンが自然に無理なく繋がり、「よくこんな場所のこんな状況で映像が撮れたなあ」という場面でも、まるで神の視点から捉えるように登場人物に迫っています。とても深刻なシーンであっても、カメラが撮影している、つまり画面のこっち側には制作者がいるということをまったく感じさせず、登場人物が実に自然に活き活きとふるまっているのです。

時にはドローンを使ったとおぼしき上空からの遠景も出てきますが、これもとことん抑制が効いていて、「撮らんかな」という制作者側のエゴみたいなものがみじんも感じられません。その一方で単なる記録映画でもなく、映画としてのストーリー展開もきっちりおさえてある。ある意味、ドキュメンタリー映画の理想的な形、あるべき姿を提示しているようにも思えました。

チベット仏教は、ご存じのように中国の政策によってその伝統が著しく破壊されつつあります。インドのラダックに「転生」したとされるこの少年の「前世」はチベットにある寺院の高僧で、ごく幼い頃にその当時の記憶を語り出したことからリンポチェに認定されます。本来であれば転生した高僧の下に弟子たちが迎えに来るはずなのですが、中国が国境を閉鎖しているためにそれがかなわず、少年はリンポチェではないのではないかと疑われ、自身も前世の記憶が薄れていき……。

このドキュメンタリーの背景にはそうした政治の影響が色濃く影を落としています。でもそれを全面に押し出して告発するのではなく、あくまで少年と世話役のおじさんの精神世界に迫ることで、そうした困難な状況をも浮かび上がらせようとしています。そこにも深い思慮によると思われる抑制が効いており、その分こちらに考えさせる深みを持っている。これもまたドキュメンタリーとして秀逸ではないかと思いました。

ドキュメンタリーを制作したのは韓国のSONAMU FILMという会社だそうです。エンドロールにたったお二人、韓国人と思われるお名前しか出てこなかったので、もしやと思ってネットでこの会社を検索してみたら、果たして本当にお二人だけで撮られたみたい。どれだけの情熱と手間暇と、そして高度な撮影技術を駆使したらこれほどすばらしい映像が撮れるのか、その手腕に驚嘆せざるをえません。

この作品は近々NHKオンデマンドで配信されるそうです。録画しなかったので、ぜひもう一度見てみたいと思っています。

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https://sonamufilm.com/becoming-who-i-was-2017

デスクワークは身体に悪い?

Twitterで、酔漢さん(@suikan_blackfin)に興味深い雑誌記事を教えていただきました。『日経サイエンス』の2019年4月号に掲載されている、H. ポンツァー氏の「運動しなければならない進化上の理由」という記事です。

www.nikkei-science.com

ヒトと近い種であるゴリラやチンパンジーなどの観察結果から分かったことは、「彼ら・彼女ら」が全般的に「怠惰」な生活を送っているのに、いたって健康であるという事実だったそうです。つまり一日中「食っちゃ寝」していて、さしたる運動もしていないのに、血圧も上がらず、成人病にもかからず、体脂肪率はアスリート並み……ずるいぞ類人猿、というわけです。一方でヒト様にとってなぜ運動することが必須なのかを、進化人類学の知見から解き明かしています。

いや、この記事、とても面白く、またとても腑に落ちる内容でした。というのも「健康でなければ死ぬ(©酔漢さん)」年代の私たちにとって、これはもう真剣に向き合うべきテーマだと思うからです。

偶然にも、通っているジムでつい先日、トレーナーさんとこの話をしたばかりでした。男性版更年期障害とでもいうべき不定愁訴に苛まされて、体幹の強化と筋トレを軸にしたトレーニングを続けて1年半ほど。不定愁訴はほとんど解消して、夜も寝られないほどだった肩こりや腰痛も影を潜めました。それでも一日じゅう机に向かってパソコンを打っていると、当然のことながら「不調」が忍び寄ってきます。いやむしろ、不調を不調だと認識できるようになっただけでもトレーニングの効果はあったというべきでしょうか。

現在「週三」でジムに通っていますが、パーソナルトレーニングなので毎回最初に体の調子を聞かれます。その際に肩こりや腰痛の有無なども伝えるのですが、最近つくづく思うのは「ああ、退勤してジムにやって来たこの瞬間が、一日の中で一番調子が悪いんだな」ということ。デスクワークが、ずっと同じような姿勢でパソコンのスクリーンに向かっていることが身体にどんな影響を与えているのかが、よく分かるようになりました。いみじくもトレーナーさんがおっしゃった「まあある意味、身体に悪いことをし続けているようなものですからね」というのは至言だと思います。

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https://www.irasutoya.com/2015/06/blog-post_679.html

そう「デスクワークは身体に悪い」のです。はるか昔に初めてサラリーマンになって以来、当たり前のように人生の三分の一(時に二分の一以上)を費やしてきた生活スタイルが、こんなにも大きな影響を身体にもたらすものだったとは。現在は講師業が多いので授業中は立っていることも……いや、そうやって振り返ってみると、けっこう座って授業してます。これからはずっと立って授業しようかしら。上述の記事にはこんな衝撃的な記述がありました。

机に向かって、あるいはテレビの前に長時間座り続けることは疾患リスクの増加と短寿命に関連づけられている。よく運動する人でさえ同じことが言える。世界的に身体活動度の低さは健康上のリスク要因として喫煙と同等と考えられており、毎年500万人以上の命を奪っている。

しかも運動で「減量は実現できない」が「免疫系の機能を改善して感染を防ぐ効果があ」り、大切なのは運動の「激しさよりも量であ」って、そのためにも普段の生活により多く体を動かす機会と時間を採り入れるべきとしています。うんうん、私も通勤時に一駅二駅分歩いたり、地下鉄駅では極力エスカレーターを使わず階段を上り下りしたり(最近は階段にカロリー数がついている駅もありますね)、とにかく体を動かすようにしています。

それでもやはりデスクワークがかなりの時間を占める仕事の形態なので、運動不足は否めません。というわけで、この春から、朝の時間を利用してもう一つジムに通うことにしました。今までは始業前の一時間から一時間半ほどを自分なりの「朝活」というか、勉強時間に充ててきたんですけど、これを身体を動かす方に使おうと思います。同僚からは「言霊ってこともあるから、あまり言わないでよ」と言われているんですけど、「健康でなければ死ぬ」に加えて「運動しなければ死ぬ」も座右の銘につけ加えることにいたしましょう。

余談ですがこの記事、最後に運動不足を戒める一節としてこんなことが書かれています。「何時間も机の前に座ったままソーシャル・メディアでグルーミングしている」場合じゃないと。グルーミング! そうか、私たちがSNSで行っているのは「毛づくろい」みたいなものだったんですね。

通訳者に女性が多い理由と男性の家事

春は学校の学期が変わる季節。私が非常勤でうかがっている通訳学校も生徒募集のための公開講座が何度か開かれ、私も出講してきました。講座の最後にQ&Aの時間があるのですが、先日はこんな質問が寄せられました。

日本の通訳業界は圧倒的に女性が多いそうですけど、それはどんな理由からだと思われますか?

う〜ん、どうしてでしょうね。通訳という作業は男性よりも女性の方が向いている、例えば女性の脳は左脳と右脳を結ぶ脳梁が男性に比べて太く、その分マルチタスクに向いているので、同時通訳のような極めてマルチタスク性が高い作業に長けている……といったような説明も聞いたことがあります。ただまあ私は、そういった理由もさることながら、日本社会の特質が影響しているんじゃないかと思って、Q&Aでもそのようにお答えしています。

それは、日本社会はいまだ「女性の社会進出が遅れている」いわば「男尊女卑」の社会だからじゃないかというお答えです。女性の社会進出が遅れていることがなぜ女性通訳者が多いことに繋がるのか? それは日本ではまだまだ家計の主たる担い手は男性で、男性がフルタイムで稼ぎ、女性はパートタイム的に稼ぐ+家事を担当というパターンが多く、そういう固定観念がなかなか崩れていないように思えるからです。

日本では(他の国の状況は詳しくありませんが)通訳者という職業は、一部のハイエンドを除いてはなかなか「食えない」職業です。それはこのブログでも何度も書いているように、もとより語学を扱う職業に対して、その重要性への認識が低い日本社会の反映でもありますし、また例えば通訳者という言葉のサービス業をなかば「イベントコンパニオン」的に捉えている方がまま見られるという現状からでもあります。

そもそも「イベントコンパニオン=女性」という図式そのものからして陳腐で噴飯物なんですけど、端的に申し上げて通訳者は、その業務の難しさや重要性に比して、社会的な地位が低いと言わざるを得ません。そしてそうした職業を主に女性がパートタイム的に担っている・担わされているというのがこの日本の非常に遅れている点ではないかと思うのです。そして主に女性が家事や育児を担当し、男性は外で働くというパターンがいまだ強固なのも、そうした傾向を後押ししていると思います。

家事や育児にしたって、積極的にその価値を認め、自らも主体的に関わろうとする男性はまだまだ少ないようです(もっとも私が若い頃に比べたら、いくぶんかは変化しつつあるように思えますが)。まだまだ過渡期で、これからの若い方々に期待(オジサンたちにはもうあまり期待できません)したいところです。実際、世の中の家事や育児に対する考え方は性差を超えて協同に向かっていく未来を私は楽観視しています。もちろんいまここで、待ったなしで育児や家事に困難を覚えている方々にとっては、何とも遅々たる進み方がじれったく憤ろしいでしょうけれども。

ごく当たり前の風景としての男性の家事

そんなことを考えていた先日、10年以上にわたって読み続けてきたマンガ『きのう何食べた?』の最新第15巻が発売になりました。今回は今春から同作のテレビドラマが始まり、それに合わせて公式レシピ本まで出版されるとあって、書店店頭での扱いもPOPなどかなり派手なようですね。

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きのう何食べた?(15) (モーニング KC)

このマンガ、主人公の史郎氏とケンジ氏が私とほぼ同じ歳で子どもがおらず、しかも連載に合わせて歳を取っていく設定になっており、その「お年頃」にありがちな様々な課題——職場での立ち位置とか、親の老齢化とか、自身の身体の変化とか——がひとつひとつ自分の課題の引き写しでもあり、私にとってはとても共感を持って読める作品です。なおかつうちでは炊事・買い出し関係全般が私の担当なので、その点も共感できるとともに実用的なレシピ本にもなっているという……同時代にこの作品を読める幸せをいつも感じます。

マンガ作品の実写ドラマ化というのは、個人的には世界観が壊されそうでちょっと心配なんですけど、まあ私などがあれこれ言っても始まりません。それはそれとして楽しんで観たいと思っています。

筧史郎を演じる西島秀俊氏は、家電のコマーシャルで炊事をしていて(ちょっとおしゃれに過ぎるけど、まあそれはご愛敬)、いまだに炊事イコールお母さん(女性)の仕事みたいなステロタイプな描写が多い中、あれはとても新鮮だなと感じていました。先日偶然観たテレビ番組で、西島氏が「いま料理を練習中なんです」とおっしゃっていましたが、ドラマのためのお稽古でもあるのかもしれません。

ともあれ、ドラマではちゃっちゃと炊事をする、それもいわゆる「男の料理」とか「ホビー」といったものではなく、ありものや安いもので間に合わせるような炊事シーンがごくごく普通の、当たり前の家事の風景として描かれればいいな〜と思います。料理の手元は別撮りじゃなくて、西島氏ご自身の演技だったらもっといいな。お稽古の成果が出せるといいですね。